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池袋午後七時のしあわせ

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なんだかそれが、とてもしあわせ なんです

「あ、し、静香さん」
信号待ちをしていた静香が声に気付き隣を見つめると、見知った顔である帝人がぺこりと頭を下げた。ああ、静香は思わず緩む頬を律しようと敢えて溜め息をつき、鷹揚に返事を返す。帝人は顔を綻ばせて、お仕事ですか、と問いかけた。静香は頷き、信号にちらと視線を送る。それまで嬉しそうに頬を染めていた帝人は、その瞬間に目を丸めておろおろと視線を下へ向けた。彼女がふるふると肩を震わせていたのに静香が気付いた時には、信号待ちのために留まる人々の群れの中で帝人のプリーツスカートの上をねちっこく這いずりまわっていた手は更にスカートの先へ指を動かし、あろうことか公衆の面前でスカートの下に自分の手をいれようとしているところだった。信号が青に変わった瞬間、残念とでも言うように指がスカートを引っ張り、離れようとする。ふるふると震えながら視線を伏せていた帝人は、隣に立っていた美しい彼女が、備え付けられていた標識を手に取り、自分の後ろにいた年若い青年に向かって振り上げたのを見て ああ と息を詰まらせた。

「みか」
騒然となる外野の声には目もくれず 静香は掠れた声音で帝人を呼び、ぎこちなく笑った後に顔を真赤にして静香へ抱きついた帝人の頭をさすった。ぎゅう、と帝人は静香に抱きついたまま、ありがとうございます と呟く。静香は帝人の言葉を聞き、帝人に触れている手とは逆のそれに持っていた標識をごとりと地面に落とした。
「みか・・・」
ぐしゃり、と静香の整った顔が崩れる。そんなに眉をしかめないでください、帝人は壊れかけた静香に訴えて、ぱちぱちと瞬きをする。背伸びをして、自分の貧相な胸に静香の豊満なそれを押し付けるようにくっつけた帝人へ、静香は泣き出しそうに眉を歪ませたまま すっかり狼狽した様子で みか ともう一度呟く。
「大丈夫ですよ、ちょっと触られたくらいだったし 平気です」
「けど、震えてた。・・・あたしが、もっと早く気付けてたら」
嫌な思いしたね、ごめんね。まるで自分のことのように真摯に、甘く囁いた静香へ、帝人はにこりと笑って、自分と静香の足元に転がっている標識に視線を落とした。しずさん、くいくいと服を引っ張り、標識にものいいたげに唇を開いた帝人へ、静香は視線を落として、ああ、と呟いた。
「同じような場所に刺しといたらいいかな」
「・・・はは・・・」
返答に困り 笑いながら肯定も否定も行わない帝人へ、名残惜しそうに髪をすいた静香が微笑む。帝人は静香から離れ、一歩離れて道行く人々が遠巻きに自分たちを見つめていた人々へ視線を向けた。曲がった標識を軽々と持ち上げ、思案した後にコンクリートへ刺す静香は、金糸のような髪をさらさらと揺らして異常なほど美しい。ぼんやりと静香が作業を終えるのを待っていた帝人へ、緩やかに細い指が伸ばされた。びくり、と気がついた時には遅く、帝人の胸に女性特有の柔らかな曲線の指が置かれている。
「男ってこういうとこ理解に苦しむなぁ。みかちゃんを触るならまずは胸だと思うけどぉ」
「か、甘楽 さん!?」
べきり。帝人が叫ぶよりも早く、曲がった標識をどうにか地面に突き立てていた静香は、努力の結晶であるそれを握りしめ、ばきりと折ってしまう。あ、帝人が目を丸めてこなごなになった個所を見つめていると、折原甘楽はくすくすと笑いながら帝人の腰へ手を移ろわせた。
「やだぁ、シズちゃんったら野蛮!ていうか、馬鹿力すぎ!甘楽ぁ、こわぁい」
みかちゃん、慰めて?甘楽はべたべたと帝人に触れ、悩ましげに息をついてハーフパンツから覗く肉つきの良い足を帝人のそれに絡めた。触れた肌の熱さに帝人がぴくりと反応すると同時に、静香は美しい顔を分かりやすく歪めて 甘楽 と憎々しげに呟く。
「みかから離れて ていうか池袋から離れて それか息絶えて 出来ないなら殺してあげる」
「甘楽みかちゃんのこと愛してるし、シズちゃんがいないなら池袋もまあ好きだし 息絶えるのやだし、シズちゃんに殺されるのなんてまっぴら!」
ぎゅう、と帝人を抱きしめる甘楽へ、静香は苛立ちを如実に示した顔で舌打ちをした。自らに向けられた敵意ではないと知ってはいるものの、びくりと震えてしまった帝人に気付いた甘楽がくすくすと密やかな笑みを浮かべる。
「シズちゃんの力って本当にはた迷惑だよねぇ。みかちゃんもそりゃ怯えるよねぇ。甘楽ならみかちゃんをびくびくさせないのにぃ」
静香は甘楽の言葉に唇を噛み、すがるような瞳で帝人を見つめた。動揺した静香へ嫌な笑みを浮かべた甘楽へ、帝人はおろおろと視線を彷徨わせて もじもじと視線を下げる。みかちゃん、甘く甘楽が呟いた声に、帝人は意を決したように顔を上げた。
「私、しずさんのこと 大好きです。びくびくは、しちゃうけど、けど 大好きです」
ぴたり、動きを止めた甘楽へ、帝人はもぞもぞと体を動かして手から離れた。とてとてと早歩きで静香の元へ向かう帝人を、彼女はぽかんと目を丸めたまま受け入れる。その顔をみた帝人は、途端に恥ずかしさにさいなまれて静香の服を軽く引っ張った。
「迷惑、ですか 」
「・・・嬉しい けど あたしなんかで、いいの」
あたしなんかが、みかの近くに居ていいの。静香は困ったように、怯えを表面に浮かべた声で呟いた。帝人は眉をゆがめて、そっと言葉を紡ぐ。聞き取れなかった静香がきょとんと目を丸めると、帝人はぼそりと声を発した。
「しずさんが いい です」
「・・・みかちゃん、騙されてるよ」
ぽつんと呟いた甘楽は、ふと気がついて彼女を睨んだ静香を見つめながら苦々しげに呟く。みかちゃんは甘楽の運命なんだもん。甘楽は不貞腐れたような声音で呟き、べえ、と静香へ舌をだしたのちに池袋の雑踏に消えようとする。追いかけようとした静香へ、帝人はふるふると首を振った。柔らかな黒髪が震えたのを見て、静香は動きを止めて帝人を見つめる。帝人は赤くなったまま、言わなきゃ良かった と呟く。
「言わなかったら今 こんな 怖く、なかった・・・」
じわりと、浮かびかけた涙を拭った静香は、震える帝人へ なんで と問いかける。意気地がなくて何も言えなかった自分とは違う帝人へ、静香は愛しさを抱えながら笑った。上手く笑えている自信のない静香の笑みに、帝人は安堵したように微笑む。
「すきだよ」
静香はもっと帝人を安心させたくて、呟いた。嬉しい、言葉を吐いた帝人が しあわせを体現したように笑う。きれい、と単純に思った静香は、ただ今だけを喜びたくて帝人に手を伸ばした。

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きれいなあなた、こいこがれてたじぶん おもいのつうじたいっしゅん、不安だったのはただ じぶんがいつかあなたをこわすかもしれない恐怖