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「ただいま」
玄関を開けてから今日は家人が不在だったことに気付く。
セルティは自室に入ってヘルメットを取ると、どさりと布団に転がった。
大の字になって天井を眺めていると、今日一日の出来事が頭の中にいろいろ甦ってきた。
（ああ、いろいろあったなぁ）
随分めまぐるしい一日だった。毎日が毎日こんな調子じゃ持たないなと思いつつも、どこかで楽しかったと思う自分も否めないことに気付いてセルティは肩で苦笑した。
疲れがほんのり体に心地いい。
閉じる目はないけれど、身の回りに起きた今日の事件を振り返るためにセルティは視界を閉ざし、さまざまなシーンの断片を胸のうちに見る。
（そういえば、静雄に手袋を貸したままだった）
影で作ってやったそれは、セルティが消そうとしなければ消えることはない。もしかしたら静雄はまだ持っているかもしれない。もう用は済んだだろうか。
そう思ってごろりと転がってメールを打った。
『グローブは役に立ったか』
一言だけ。返事はすぐに来た。
『家か？　新羅はいるか？』
全く問いに答えていないその文面を見たとき、セルティの胸がわずかに小さく鳴った気がした。
もしかして、結構な怪我でもしたのだろうか。さすがにあれだけの人数に囲まれたら、さしもの静雄も無傷じゃいられなかったのかもしれない。大丈夫だろうか。新羅なら今は不在だが、できることなら手当てもやってあげよう、そう思ってメールの返信を打つ。
メールを打ちながら、セルティは今まで味わったことのない感覚に、ひどく戸惑いを感じていた。
どうしてだろう、なぜだか今は新羅の不在が嬉しいのは。

新羅はセルティの無二の恋人だ。どんな姿でも愛してくれるという新羅の言葉は、今まで首を見つけ出さなければと闇雲に躍起になっていた自分の心を解放してくれた。後にも先にも、こんなに愛せる人間はいないと思う。自分の存在する場所は、今は新羅の横なのだと今は思っているけれど。
（静雄……）
送信完了の画面を眺めながら、相手の顔を思い浮かべた。

強いのは知っていた。実際にあの力を見て驚かされたことも一度や二度じゃない。
だけど今日目の当たりにした彼の強さには、本当に驚愕した。
彼を怖いと思ったことはなかったはずだ。だけど今日、初めて怖いと思った。
（彼の強さは格好よすぎる）
今までセルティは自分が「死ぬことはない」という絶対的な事実によって誰と戦っても恐ろしさを感じることはなかった。でも静雄は違う。彼は恐ろしい。
恐ろしいくらいにかっこいい。
絶対に対峙したくない。それは多分、周りが思っているのとは別の感覚でだ。
できることなら、彼が戦っている姿をずっと見ていたい。
（ああ、これって憧れってやつなのかな）
初めてその感情の名前に気付く。
今まで都市伝説として憧れられることはあっても、自分が憧れるような人間など存在しなかった。怪物だ人外だのと言われてきたのは自分であって、自分以上の怪物など出会ったことがなかったからだ。
静雄は強い。感動的なまでに強い。

そしてその強さに静雄の悲哀を見る。

（あんなに強いくせに）
池袋最強の男といわれ、自動喧嘩人形と呼ばれ恐れられる彼が、実は弟思いの心の優しい青年だということをセルティはよく知っている。
新羅に紹介されたときからとてもそんな暴力一辺倒な人間には思えなかった。いろいろな人間を見てきたけれど、彼の目は綺麗だった。仕事柄、えげつない人間や後ろぐらいものを抱えた人間や、悪意に満ちた不快極まりない人間なども見てきたけれど、そういった人間は皆どこか目が淀んでいたり、濁っていたり、気味の悪いオーラを放っていて、どうしても好きになることはできなかった。でも初めて出会った5年前から、彼の瞳の色は全く変わっていない。彼がどんなに暴力を撒き散らしても、それは本人の意思によるものでないことはその瞳の色から察することができた。
思ったとおりだった。彼は話してみると本当に穏やかな男だった。自分の力を心から疎み、本当は心からただ静かに暮らしていただけなのに、と彼は語った。彼は望むと望まざるとにかかわらず「引き寄せてしまう」性質の人間なのだろう。いや、長年因縁になっているあの男のせいかもしれないが。
なんにせよ、ほとんどの人間はあの圧倒的な力に慄いて、とてもじゃないがそんな彼を知ることはできないのだろう。静雄のそんな一面を知っているから、余計にあの強さが妙に悲痛なもののように思えて仕方がなかった。静雄の破壊衝動が、彼に平穏を許さない環境に対する叫びのような気がして、セルティはいつも切なくなる。
（なんだろうな、これって憧れとは違うような気がするな）
胸にもやもやとひっかかる感情をこねくり回しながら再び寝返りを打つと、玄関のチャイムが鳴った。