The result of the game.
──パァン...と、乾いた音が耳に残った。
私は飼われている身だ。別段ペットである訳ではないがそれも同じ様なモノなのだろう。隷属の身、奴隷の分際、奉仕する存在、家畜同然、只のモノ。
だけどどうして、彼は私を彼の部屋に閉じ込め其処で生活させるのだろう。いや、閉じ込められるだけではない彼の夜伽の相手をしているし外出時には共に外へ連れ出される。私には到底似合わない服に靴、そして豪華な食事。毎夜甘い言葉を耳元で囁かれて落ちない女などいるのだろうか。少なくとも私くらいなのだろう。
そもそも私と彼はゲームをしているのだからそれでいいのだ。
例え私が彼に惹かれていようと、表にさえ出さなければ。
「なぁ、姫。愛してるぜ」
そういくら何度ベッドの上で囁かれたって只のゲームなら興味がない、興味のないフリをすれば良い。
だけどいつしかその美しいペリドットの瞳に引き込まれてしまう私が居て。嗚呼、いっそのことこの身を彼に差し出してしまえれば一体何れ程楽なのだろう。だけどそれが許されないのは私の兄の存在が在るから。
「いつか必ず助けに来たるからな…!!」
あの日悔しそうに顔を歪ませて私にそう告げた兄は、いつ助けに来るのだろうか。兄の為にも、私は……
「何を考えてんだ?」
「……」
「あぁ…お前の兄か」
「…えぇ」
「はん、オレとの最中に他の男の事を考えていられる余裕があるとはなぁ!」
「ひ…っん」
「カリエドもここ最近は力をつけてきている…どうやらゲームセットは時間の問題の様だぜ」
「…兄さん…大丈夫、なのかしら」
「……心配か?」
そういって不安気に私の目を覗き込んでくるその瞳に、見入ってしまう。不安と寂しさと切なさの入り混じった瞳。不安に揺れるペリドットの瞳とランプに照らされて色を変える金の髪。兄の事が心配な筈なのに、それなのに私は彼の事しか考えられなくなってしまう。このゲーム、私の負けは決まっている。
彼の船に捕らわれている間、彼に惚れたら私の負け…例え兄が来たとしても降りる事は叶わない。それがルール。もう私の負けは決まっているも同然なのに…表に出さない私が居る。いい加減に認めるべきなのだろうか、それすら決められないまま。
シャワーを浴びて汗も互いの体液も洗い流して身を整え、ベッドに入ろうとしたその時。
ズドォン...と、重い音が響いて船体が大きく左右に揺れ動いた。咄嗟にしがみつくモノも何も泣く、たたらを踏んで倒れそうになる。それを助けてくれたのは、彼。右の腕で私の腰を支え、片方の手は支柱に掴まったまま。そのお陰で私は無様な醜態を晒さずに済んだ。
しかし怖い、恐い。
思わず彼の腕にしがみつく。手に力が篭もっていたのだろう、痛い、と呟かれるまでその事に気が付かなかった。ガタガタ、と手も足も全身が震える私の身体を抱き締めて彼は落ち着かせてくれた。
しかし、その彼の表情はいつになく険しくて。
「アーサー…さん…?」
「とうとう来たか…」
「アーサーさん…今のは…」
「…惚れた女を惚れさせるには少々時間が足りなかったみたいだな」
その言葉の意味するところを理解せぬ私ではない。詰まるところ、兄が襲撃に来たのだ。かつての恨みを晴らし、私を救う為だろう。その事実に恐怖を覚えない私ではない。
海賊同士の争い。本格化すれば互いの船の乗組員の多くが命を落とすだろう。私はそれが辛い、苦しい。本当ならば争いなんて起こさなくて済む筈なのに。
「姫、悪いが手加減出来そうにない。お前は来るなよ?」
スラリと鞘に収まっていた彼のサーベルが引き抜かれてランプに怪しく光る。クルリ、と彼の片手の指にて回された白銀の銃も彼の腰に収められ、ニヤリと彼の口元が歪む。
「カリエドのヤツ…タダじゃあ済ませられねぇな……姫」
「は…はい…」
不意に名前を呼ばれて身体が跳ねる。
「ゲームはオレの負けだ。後はもう好きにしたら良い」
そう私に言い放った彼は、ペリドットの瞳と金の髪によく栄える赤のマントを翻して部屋の外へ向かう。甲板では既に戦の声と音が響いている。きっと多くの者が戦っているのだろう。きっと多くの者が怪我を負い、死に絶えているのだろう。それが私には何とも辛い。私の、所為なのだ。
バン、と派手な音を立てて彼の開いた扉の先は、予想と違わぬ戦場と化していた。恐怖で私の身体は凍りつく。見知った船員と、兄の争う姿が目に入る。
見たくない、止めて、止めて、ねぇ兄さん…もう止めて。
私なんかの為にそんな事、しないで。
パン、とアーサーさんが兄さんと船員の間に牽制の銃撃を放った。背を向けているアーサーさんの表情は私には伺えない。ただ怒りと悲しみと…様々の感情が混ざっているであろう事だけは声から読み取れた。「よぉ、カリエド。随分な挨拶じゃねぇか」
「俺の妹を奪ったヤツに挨拶なんて要らへんやろ?」
「姫が震えてたぜ。妹を怖がらせてどうすんだよ」
「お前がその名前を気安く呼ぶなや!」
──刹那、何が起こったのか理解出来なくなった。
怖い筈なのに見入ってしまうその鮮やかさ。兄のアックスと彼のサーベルが炎とランプに照らされて交わり、銀の煌めきを残しては消える。飢えた獣の様なその瞳に、周囲に少しずつ飛び散る血液の赤。
本当な止めなくてはいけないのに、それは私の役目なのに…どうしてだか見入ってしまってそれが出来ない。
私はどちらにつけば良いのだろう。兄だろうか…それともアーサーさん?アーサーさんの味方をすれば兄はきっと悲しむだろう。だけど兄につけばアーサーさんにはきっともう会えない、愛しては…貰えない。
互角な争いを続ける2人をぼんやりと眺めながら私の頭は回転する。私はとちらを選べば良いのだろう。次第に血に塗れていく2人を、少しずつ疲弊していく彼等を…私はどうすれば良いのだろう。
"好きにしたら良い"と、彼は私に告げたのだ。だからこそ迷いが生じる。
気付けば扉の外から聞こえる音は、彼等2人のモノだけとなっていた。互いの乗組員は互いの船長を応援しながら、見守りながら…その勝敗を信じている。
だが急に襲われ十分な心構えが出来ていなかったアーサーさんに比べて兄は十分すぎる程の準備をしている。体力に余裕もある。それが大きく響いたのか、アーサーさんのサーベルが兄のアックスに弾き飛ばされる。
「……っ」
「えぇ加減、堪忍せぇや!」
互いの乗組員の立てる音がやかましい。劣勢なのはアーサーさんだ、それはもう目に見えてわかっている。銃だってアックスの前ではどう足掻いたって敵う筈がない。
衝撃から膝をついたアーサーさんの眼前に兄のアックスが突きつけられた。勝敗はもう、明らかになった。
「カークランド、お前の負けや。早よ姫出しいや」
「……その部屋の中田。勝手に連れて行け」
「はん。えらくあっさり引き下がるんやね」
「ゲームはオレの負けだからな」
血に濡れたアーサーさんの髪が鮮やかに輝いて、ペリドットの瞳が悲しく揺れて…私を捉えた。
どうしてだろう、足が竦む。
兄が近付いてくるのに、嬉しい筈なのに…どうしてだか、怖い。
「姫、兄ちゃんが迎えに来たで。一緒に帰ろうや」
「……兄さん…アーサーさん、は…」
「あぁ…せやな。このままにしとってもアカンなぁ?」
作品名:The result of the game. 作家名:蒼月紀