カミナリサマサマ
「うわ、嫌な雲ですね。」
「あちゃー、こりゃ一雨来るな。」
休憩中そんなスタッフの会話が聞こえてきた。つられて見上げた先には、今朝見た青い空とは違う、灰色の重みのありそうな雲が一面に広がった空。自分の吐いた白い息がその中に溶けていく。
「撮影早めに終わってよかったですね。夕方から雷らしいですよ。」
どうぞとスタッフから差し出されたコーヒーをお礼を言って受け取る。ミルクも砂糖も入ってないブラック。熱くて苦い液体を一口飲み込んで、少し温まった頭に浮かぶのは、たった一人の兄の姿。
(雷・・、懐かしいな。)
幼い頃、雷が鳴る夜が好きだった。
ゴロゴロ唸る雲も、一瞬の稲光も、大気を震わせる音も、別にどうでも良かった。びっくりはしたけど、それに対して怖いと思ったことは一度も無い。俺がこうなる前、物心ついた頃には既にそうだったと思う。
「か、幽ぁ。」
真っ暗で何も見えない。窓の側でぼんやりしていると、弱々しい声が僕を呼んだ。ゴロゴロと唸り声を上げる雲の音や地面を強く叩きつける雨の音に負けそうなその声を僕は見失うこともなく、振り返る。二段ベッドの下、隅っこで毛布の塊がもぞりとわずかに動いた。隙間からこっそりと怯えた表情の兄が顔を覗かせる。
「危ない、から早く、こっち!」
「へーきだよ?」
「だめだ!はや、」
ピカリ
一瞬の光。毛布のお化けがビクリと肩を震わせた。
「はやく!かすか!」
「わかったよ。」
僕の名前を呼ぶ裏返った兄の声。震えながらも精一杯伸ばされた手を掴もうと僕が手を伸ばすと、ぐんと強い力で引っ張られた。少しの衝撃と柔らかい毛布の感触と間近に感じる兄の体温に小さな笑みがこぼれる。
「だ、大丈夫だからな!幽は俺が守るからな!」
「うん、ありがとう。」
しっかりと掴まれた手首が少し痛い。けど、いつもなら拒まれる手が繋がっていることが嬉しくて、だから我慢しようと思った。ある出来事以来、兄は滅多に人に触れたがらない。僕が手を繋ごうとしたら、勢いよく払われた事があった。傷つけてしまうからと今にも泣き出しそうな顔で兄は言った。ぎゅうぎゅうに握りしめられた手はきっと痛かったはずなのに。ごめんと兄は謝った。
僕がカミナリサマを好きになった理由。
「かすか、かすか。」
「うん、こうすればへーき。」
とうとう泣き出してしまった兄の両耳に自分の手をぺとりと当てる。目を瞑って、開く気配の無い兄は、それでも僕の手は掴んだままポロポロと涙を落とす。窓の外でカミナリサマが大声を張り上げて、誰かに向かって怒っていたけれど、僕にはどうでもよかった。
こつんと少し汗ばんだ額同士を合わせて、
たぶん青くなってる手首も、
ドキドキと大きく脈を打つ心臓も、
カミナリサマが通り過ぎるまで
「今日会いに行っても良い?」
「ああ、いいけど。突然どうした?」
「懐かしいこと思い出して、会いたくなったんだ。」
「なんだそれ。」
「今日の天気はカミナリサマだから、ね。」