『愛してる』が言えなかった
だから、理解できなかった。何故そんな奴が、それこそ大和撫子みたいな女ではなく、俺を好きだと言うのか。
言われたときは舞い上がり喜んで受け入れたが、果たしてそれでいいのか。そう思うと、不器用ながらに伝えてくる愛に答えることが出来なくなっていた。
ましてやアイツは人間だ。いくら強いとはいえ、人間なのだ。化け物ではない。いつ俺の手で壊すともわからないなら、いっそ―――
そんな風に考えていた時だ。視界に入った新宿住いのノミ蟲。一気に沸点に達した脳は、傍の標識を引き抜き槍投げ宜しく飛ばす。しかし刺さった先はコンクリート。
にっ、と笑って走り出すその背を逃がすわけにはいかない。
あれは社会のゴミだ、災いだ。アイツさえいなければ、この街はもっと平穏でいられる。世界にだっていいに決まっている。だから殺す、ころす、コロスっ−−−!!
そうして始まった池袋での殺しあい。とは言うが、今日の臨也は逃げるだけだった。正直相対してやる方がやりやすいのたが、文句は言ってられない。世界平和のためだ。
そう思い追い続けた。走り回り飛び回り、街中に怒号が響いていただろう。
闘争を続けるうち、臨也は俺を巻くために路地裏に入り込んむ。視界にとらえさえすれば狭い場所なら間違いなく物は当たる場所。ゴミの処理もしやすい。
今ここで殺す。そう必死で追った。すると、何故だか立ち止まっているゴミを見つけ、絶好の機会に傍にあったものをボールの様に投げようとした。しかし臨也の先に人影を確認し、その人物がわかるやいなや十字路の影に隠れた。
「シズちゃんの彼氏のドタチンじゃないか」
「その呼び方は止めろ」
呆れたように返しているのは門田だった。あまり怒る気がないのは、もう無駄だと知っているからか。
臨也はその態度に笑っているのか、それとも俺が手出し出来ないと知って余裕なのかわからなかったが、腹が立つような笑みを浮かべていた。
「呼び方っていうのは彼氏って言い方かな?」
「ドタチンの方だ。俺に言わせるなよ」
「わかった、わかった。でさ、シズちゃんの彼氏であるドタチンにお願いなんだけど、シズちゃんを大人しくしてくれない?今も追い掛けられて大変なんだよ。腹上死でもなんでもいいからさ」
門田の慌てた声がする。それを見て心底楽しそうに笑うノミ蟲を、一刻も早く黙らせたいが、出ていっても止められるだけだ。その反動で壊すともわからない。
臨也に投げる予定だったものが、パキリと悲鳴を上げる。
「あぁそっか。ドタチンはまだ手出しとかしたことないか。そうだよねぇ、死にたくないもんね」
うるせぇ、うるせぇ、うるせぇっ…!
言われなくとも、触れれば壊れることくらいわかっている。
人が離れていくのを、何度も味わった。指をさされ恐れられ、どれだけ壊したくなくとも、気付けば地面に沢山の人間が横たわっていた。その一つに門田が加わるなんていうのは、想像もしたくない。
「なら、死にたくないならなんで付き合ってるのかな?化け物と付き合うなんて、よっぽどの理由がないと無理だ。あれか、最強が傍にいれば、周りから手出しされないってことだ」
「……俺のことは好き勝手言ってもいいが、静雄のことは聞き逃せないぞ」
「…ック、ハハッ!面白いなぁっ!ドタチンったら化け物シズちゃんのこと愛してるの?俺には無理だよ。あんな化け物、愛する対象外だ」
「お前にはそうでも、俺にとっては違う。それに化け物でもない。俺よりずっと弱い人間だ」
門田京平とは真っすぐな男だ。たとえゴミのような男が笑っても、臆することなくものを言える。どんなに大勢が有り得ないと言っても、考えを突き通す。
門田に俺がどのように映っているかはわからない。ただ、他の奴らと違うようには見てくれている。それだけで、どれだけ嬉しいか。
茶化しても大して面白くないと思ったか、ふーん、と呟いた臨也は最後に何か言い残し門田から離れていく。もう追い掛ける気力もなく、壁に寄り掛かりぼんやりとしていた。
そんな俺に影が掛かる。
「お、いた」
「え……あ、」
「追い掛けてた、って言ってたからな。近くにいると思った」
ばれてやがる。どこから聞いていたかは定かではないだろうが、俺がこうして動揺している以上、最低でも後半からいるとは悟られている。
動揺を隠すように目をそらし、煙草に逃げる俺を門田は気にする様子もなく、さっきの話の続きだと、臨也に話していたところの先を告げた。
「強さって言うのは、何も力だけを指すわけじゃない。お前は確かに力はあるが、その分傷ついてきただろ。周りからの目だけじゃなく、自分で自分を責めて」
苦しかった。辛かった。そんな話を門田にした記憶なんてない。話の大抵はノミ蟲の話か仕事のちょっとした話くらいだ。
なのに何故わかる。サングラス越しに覗いた瞳は、相変わらず強い光を持っている。
「いいか、静雄。お前は強くない。人に触れることすら恐れるような人間だ」
化け物だからと線引きをするな。手を伸ばすことを恐れるな。門田は言う。
そう簡単に壊れやしないからと、俺の手を取り握ってくる。
暫く悩み、俺はその手を握り返してみた。初めて繋ぎあったそこは、鈍い骨の音もなくじんわりとした温かみだけがある。
「力なんて言うのはどうでもいい。俺はお前の人間性が好きだ。放っておけない」
いいのだろうか。このままこの手を取ってしまって。たとえ今が平気でも、壊す可能性はいくらでもある。
俺の力は制御できない。門田なら数発なら持つかもしれないが、長くはいかない。傷つける前に距離を置くなら今だ。
そう、わかっていてもだ。
「……俺も、好きだ」
今まで伝えられなかった言葉を口にした。人間として俺を見てくれる奴を、どうして愛し返さないでいられるか。
壊す恐怖はぬぐえない。けれど、ふっと表情を緩めた門田の顔を見て、伝えられてよかったと、そう思ってしまう。少し指に力を込めても、握った手は痛いとも言わない。
「静雄」
「なんだよ」
「………なんでもない」
路地裏に沈黙が流れた。しかし苦痛ではなかった。
繋いだ手の温かさは、沈黙の中でもひと際存在を確かにしていた。
作品名:『愛してる』が言えなかった 作家名:緋菜