些細な展望、透明な足枷
一人で飛行機に乗るのも、さまざまな手続きをするのも慣れっこだ。金属探知機にひっかかるようなモノも当然持っていないから検疫に時間をとられることもない。
まさにカンペキにゲートをくぐり抜けて、迷うことなくタクシー乗り場へと向かう。飛行機の中で暇だったからとターミナルの地図を頭の中にたたき込んでおいたから迷うはずがない。
タクシー乗り場に着けば、客待ちのタクシーがすばやく横についてドアが自動で開かれた。
「地方裁判所までお願いするわ」
さらっと行き先を告げて、乗り心地の悪いシートにもたれかかる。タクシーは当たり外れがあって、タバコ臭いタクシーに乗ると思わず運転手にムチくれたい気持ちになるけれど、最近は禁煙の動きが広まっているからかタバコ臭いタクシーに当たらなくなった気がする。日本の法律は行き当たりばったりか後手に回るかの極端なものが多いイメージだったけれど、こればかりはよく施行してくれたものだと感心する。今日のタクシーはタバコ臭くはないから「当たり」だ。そう思っていたのに。
「……なんでまた裁判所に? おうちには帰らないのかい?」
私の行く先を訝しんだ運転手がおそるおそるといった具合に声をかけてきた。時間が惜しいから直接裁判所に向かおうとするのは間違いではない。
「私は家でなくて裁判所に用事があるの」
「は、はぁ」
とたんに不機嫌になった私に運転手はそれ以上なにも言ってこなかった。
本当に人を見かけで判断するのはやめてほしいものだわ。別に私が一人で飛行機に乗っても、タクシーに乗ってもいいじゃない。きちんとパスポートもお金も持っている。会話で意思の疎通だってできる。英語すら話せないまま海外旅行に行く日本人よりよっぽど真っ当だと思う。今では慣れてしまったから敢えてムチはくれてやらないけど、いつまでこんな子供を見る視線を向けられるのかしら。
子供を見る視線。
思わずむっとした出来事を思い返してしまった。
『検事になれたのだよ』
と珍しく笑いながらバッジを輝かせていた男を思い出す。私より少し年上ってだけでさっさと司法試験を受けることができて、さっさと検事になってしまった弟弟子。私のほうが姉弟子よ!
あの後パパにバッジはつけるモノではないとあしらわれていたのには思わず笑ってしまったけれど。……私は最初からつけるつもりはないわ。
とにかく、今回の帰国は近々弟弟子を法廷に立たせるかもしれない、とパパ……私たちの師匠だ……に言われていたからだった。私も司法試験が近いけれど、弟弟子のお手並みを是非とも拝見したいと思っていたのだ。もちろん、粗があったら存分ムチくれてやるつもりで。
のろのろと渋滞にはまりかけたタクシーからやっとで見えてきた裁判所に、私ははやる気持ちを抑えて料金メーターを確認する。
裁判所の前で停まる直前で料金メーターが上がるのは計算済みだ。「おや」と呟く運転手に、メーターどおりの料金を支払う。……あら、小銭がなくなってしまったけれど、使うこともないだろうから構わない。
とにかく急がなくては。どんな顔をして法廷に臨むのか、楽しみったらないわ。
法廷の始まりを告げる音が鳴るところから見届けてやるのが、姉弟子でしょ?
そう意気込んでたどり着いた裁判所の入り口でまさか立ち往生するなんて思うはずもなく。
私はブーツを慣らしながら悠然と入り口へと向かうのだった。
作品名:些細な展望、透明な足枷 作家名:なずな