いつも笑っていてほしい
年も明けて忙しくしているぼくに声を掛けてきたのは、刑事課の女刑事だった。
ぼくが担当する案件の初動捜査をかなり独創的な捜査で担当してくれる子。意志の強い瞳と、和風の甘い香りをいつもまとわせている雰囲気が実はちょっと気に入っている。ただ、ぼく自身はあまり好かれていないみたいで、彼女が笑った顔を見たことがなかった。
「検事、聞いてますか?」
首をかしげて問いかけてくる彼女の動作が、年齢よりも幼く感じられる。ぼくより年上のはずなのに、すこし不思議だ。
ああ、こんな表情の彼女をみたことがなかったな、と思い出す。
「……ああ、聞いてるよ、刑事クン」
訝しながら答えると、彼女はにこっと笑みを向けてきた。
ああ、かわいい。
やっぱり笑うとこんなに可愛いのか。笑顔の彼女を見るのが初めてで、どきりとしてしまう。
「そうですか」
不思議そうにこちらを見てくる彼女の顔は、すぐに笑顔に戻った。そして、薄紅に塗られた唇から言葉が漏れ出す。
「わたし、鑑識課に配属されることになったんです!」
え…………?
「ですから、刑事としての現場は今日までで、明日から鑑識の仕事なんですよ!」
呆然とするぼくを尻目に、彼女はどんどんと言葉を紡いでいく。
その表情はどんどん喜色にあふれて、今まで見たこともないきれいな笑顔をぼくにむけていた。
「もう、検事さんと顔突き合わせて捜査することもないかと思うと、ちょっと寂しいですけど。今までお世話になりました!」
少し好きだった女の子が、笑顔で別れの言葉を吐いてくる。
これってどんなひどい仕打ちだい?
*
「牙琉検事!」
耳元で響く大声に、はっと意識を取り戻す。
上級検事執務室のリクライニングチェアをじとーっと見つめてくる視線に、ぼくはぼんやりと自分の視線を合わせてみた。
不機嫌をまるっと顔に出しているのは、さっきまで満面の笑みを浮かべて別れの言葉を吐いていた彼女だ。
「何してんですか。早く現場に来ないから、わざわざあたしが迎えに来る羽目になったんですよ!」
早く起きなさいよ! ぐいぐいとチェーンネックレスを引っ張ってくる刑事クン。首が絞まる……!
「待って刑事クン、キミって鑑識課に配属になったんじゃ……」
ぼくの言葉に、彼女の手の動きがぴたっと止まってまじまじとぼくを見てくる。
「え、あたし、鑑識に行けるんですか? カガク捜査やりまくれるんですか!?」
今度はぼくの胸ぐらをぐいぐい掴んでくる刑事クン。頭ががくがくする……!
あれ?
ぼんやりとした頭がはっきりとしてくる。
それと同時に感じる、安堵感。
「なんだ、夢かぁ」
ほっと胸をなで下ろす。
目の前の彼女がぼくから離れていくなんてそんな悲しい夢を、見てしまうなんて。ぼくとあろう者が。
「夢? え、あたしの夢……」
ぱっと、刑事クンがぼくの胸ぐらを解放する。
「キミのことを考えてたから、キミの夢を見てたみたいなんだ」
いつもの笑顔で告げると、なぜか彼女はわなわなと震えていた。ど、どうしたの刑事クン?
「……科学捜査官になれるなんて、夢でさえ見たことないのに……! 正夢にしなさいよおっ!」
怒りに我を忘れて叫んで部屋を飛び出していく彼女を、ぼくは呆然と見つめていた。
「ハハ……」
思わず苦笑いが出てきてしまう。結局、彼女はぼくを連れ出してもいない。
「ぼくのそばで捜査してくれると、うれしいんだけどなぁ」
だから例のカガク捜査もほんのちょっとは目を瞑ってあげてるんだよ。
幸いにも、彼女にはまだ鑑識課への異動の話はでていないし、そろそろ行かないと、彼女の鑑識課への道は遠のいてしまうかもしれないし、そう思って椅子から立ちあがる。
「刑事クン、待っておくれよ!」
できれば、あの満面の笑みで起こして欲しいな。そんなことを祈りながらぼくは上級検事執務室をあとにした。
作品名:いつも笑っていてほしい 作家名:なずな