灰とバロック
――opening――
――一発の銃声が饗宴を狂乱に変えるのはすぐのことだった。
シャンデリアが割れ、列席の紳士淑女の悲鳴と警護の兵士の怒号が飛び交うのは何も見えない明かりの中。
場の最高権力者たる、いやこの国のこれから長く続くであろう先を担っていくはずの男の周囲にはすぐにも護衛が集結したが、逃げ惑う客達が枷となって思うように動かない。
「…だらしねえの」
バルコニーから侵入を果たした、どちらかといえば小柄な影が、その混乱した様子に、く、と唇をゆがめる。新月の晩であり、ニット帽からこぼれる見事な金髪を見咎める人物などいなかった。
彼は――体型からすると「彼」であろう人物は、実に身軽な様子で二階から飛び降りる。音もなく着地して、中心にいる、やたらと落ち着いている男のそばまで素早く近づいた。
「――よう。大総統閣下」
暗闇でも、まったく誤ることなくその黒い切れ長の目が侵入者を見た。
「やあ。侵入者君」
「暢気だな。相変らず」
「それが取り柄でね」
痛みを伴う革命の末にその座に就いた男はまだ充分に若く、しかし若さに似合わぬ風格をも備えていた。その礼装の腕を、侵入者が恭しくさえある様子で取った。
「ところでオレに盗まれてくれねえ?」
侵入者の言葉に、大総統はきれいに笑って。そうして、身を屈めると、自分の腕を掴む侵入者を軽く抱き寄せ、その耳元に囁いた。
「――待ちくたびれた」
ついでとばかり耳朶を軽く唇で挟み込めば、ばか、と小さく詰られる。暗闇でもその白い頬が朱を帯びているのがわかり、男はただ目を細めた。
「行くぞ」
ぶっきらぼうに侵入者が口にする。
その手をそっととって、大総統は自分がつけていた勲章をぶちぶちとむしりとり、その辺に適当に放り投げた。そうしてわざとらしい声を上げながら、侵入者の手を取り走り出す。
「やめろ、落ち着いて、話を――」
襲われて揉み争うような声をわざとあげるのを流し見て、侵入者はこの馬鹿、と呆れたように笑ったが、手を離したりはしなかった。
明けて朝には、マスタング大総統拉致、あるいは殺害の可能性も、という物騒な号外がアメストリス国中に届けられることになるが、侵入者グループの行方も大総統の行方も杳として知れない。