そろそろ君の手を握ってもいいかい
予想通りではあるが、夕方の大手コーヒーショップには人がほどよく溢れかえっていた。注文の列に並ぶと、臨也さんはキャラメルマキアートのアイスね、と最初から決めていたような口調で述べた。
「そんな甘いの好きじゃないでしょう」
「格好に相応のものを飲んだ方が面白いと思って」
「そんな釣り合い気にしなくていいですよ。というか本当に俺に奢らせるつもりなんですね」
「奢らせるなんてそんな人聞きの悪い。俺は単に君の顔を立ててあげてるんだよ。じゃ、俺は席にいってるからよろしく」
ヒールは歩き辛いとか何とか言っていたわりに、その足並みはすたすたと軽い。流行のトレンカが無駄な肉のない足によく似合っていて反吐がでる。
臨也さんは外にガラス窓で面したカウンタータイプの席を選んで座っていた。いつどんな知り合いに会うか分からないこの池袋でそのチョイスは軽い嫌がらせだ。
「どうぞ」
「ありがと。それエスプレッソ?君こそ甘い方が好きだったろう」
「今日はそういう気分なんです」
「苦かったら交換してあげてもいいよ」
「余計なお世話です」
お互い特段喋るような話題もなく、手の中で湯気のたつ容器を持て余す。隣に座る臨也さんは、彼にとっては甘ったるすぎるであろうキャラメルを黙々と飲んでいる。店内の喧騒だけが辛うじて二人を同じ空間に繋ぎとめていた。
「質問なんすけど」
「なんだい?特別にただでいいよ」
「俺とここでこうして無言でコーヒー飲んでて楽しいんですか」
「愚問だね。俺は興味のない人間に自ら関わると思うかい?」
「それは思いませんけど」
ガラス越しに、口元に人の悪い笑みを浮かべる女性とそれに反して無表情の男子が映っている。おそらく街を歩く人から見ても決して二人が楽しんでいるようには見えないだろう。
「けど、納得いかないっていう表情だね。まぁ君にしてみればちっとも面白くないだろうから当然か。理由が欲しいかい?そうだね、理由をつけるとすれば、君は俺の周りには他にいないタイプだから興味が沸くんだよ」
「そんなことはないでしょう」
「いいや。俺のことを嫌ってくれる人や憎んでくれる人はいる。シズちゃんみたいにね。逆に俺のことを好いてくれる人もいる。でも君は俺のことを心底憎んでいるくせに、嫌いきれていない。凄く興味深いよ」
「興味、ですか」
手の中で紙コップが僅かに形を歪めた。テーブルの上にはあくまでも男のものでありそれでも華奢と呼ばれる部類に入るであろう手と、その指先を彩る浮ついたワインレッドが見える。気持ち悪い。
「興味じゃ不服かい?もっと分かりやすく言うなら俺は君を好いている」
「あなたは全ての人を好いているでしょう」
「ああ、そうだよ。俺は人というものが好きだ」
臨也さんは悪びれることもなく肯定した。ほらやっぱり、とため息が口をつく。
「けど、それは別に全ての個を好いているというわけじゃない。俺は個として君に興味を抱き好いているんだよ」
ご冗談を、と声に出す前にワインレッドの爪先が手の甲に触れた。反射的に振り払って、さめた苦い苦いエスプレッソを喉奥に流し込む。ガラス越しに見た、もう架空の人物でも何でもない、ただの折原臨也が人工的なピンクの唇を釣り上げた。きもちわるい。
作品名:そろそろ君の手を握ってもいいかい 作家名:琴咲@ついった