闘神は水影をたどる<完>
8.森へ
フェリドとガレオンは泥水を跳ね飛ばして馬を駆った。激しい夕立に街道にひとけはなく、二頭の馬は飛ぶように進んでいく。
真っ向からぶちまけられるようだった雨は弱まり、雷鳴は遠ざかった。雲が晴れつつある。ふたりの背にした王邸は夕焼けのなかに埋没し始めていた。束の間空を燃やす太陽の残滓を呑み込み、すぐに夜がやってくる。馬の胸にぶら下げたランタンが激しく揺れ、蝶が飛び交うような残光を道に印づけた。
防風林は海に面してそそり立つオベルの東の地域を囲い、塩害をもたらす潮風から人々の生活を守っている。端から端まで回ろうとすれば馬を飛ばしても到底終わる広さではない。
ふたりは火の玉の見えた方角と距離を推し量り、おおよその見当をつけ進んだ。
雨がすっかり上がる頃には辺りは夜闇に沈み、真の闇が訪れた。そのなかでも、針葉樹林の森が王国を守る門番よろしく、その黒い槍に似た枝振りを天に向けて突き立てているのは壮観だった。
街道を渡りながら、目を凝らさずとも、それは闇に助けられはっきりと見えた。
小さな白い点がひとつ、真っ暗な森の奥に微動だにせず浮いている。
フェリドは空に信号弾が上がっていないことを確認し、ガレオンと頷き合って馬の速度を落とした。
「こちらからああも見えては、向こうもこちらを視認できると考えるべきでしょうな」
ガレオンが敵を見る目でいった。
「ガレオン殿、馬をこちらに少し寄せてくれ」
フェリドは馬を下り、ランタンを外すと、ガレオンの馬の鞍に固く括りつけた。ふたつのランタンを提げた馬はいまから祭に駆り出されるように楽しげに見えたが、乗り手のガレオンは当惑した表情でフェリドを見つめた。
「俺はここからあの光を目指して森を進む。この街道を道なりに進むと、大きく迂回して森の裏側に出る。貴殿はそこから入って奴らの虚を突いてくれ」
「灯りなしでこのなかを進むなど、危険が過ぎますぞ」
とんでもないと言うガレオンにフェリドは首を振る。
「俺は十八年この島で生きてきた。とてつもなく広い庭を歩くようなもんだ」
「フェリド殿」
壮年の武人は声を詰まらせて一礼した。ガレオンは王家以外の人間に跪いて礼の限りを尽くしたいという衝動に駆られたことなど一度もなかった。ファレナ女王家の親衛隊、女王騎士にこのひとありと謳われる豪傑が、目の前の青年に心から敬服していた。
「馬上から失礼仕る。この恩は決して忘れませぬ」
フェリドは磊落に笑った。
ガレオンの残した二本の光線が細く薄れていくのを見届け、フェリドは鞍に跨った。馬は光と風に弱く、闇と湿気に強い。心強い味方を共にし、フェリドはその熱い体温に覆われた逞しい胸を撫でてやった。
アルの赤い馬はよく訓練されていて、フェリドを乗せることも厭わなかった。低く鼻を鳴らしてぶるりと屈強な首を振り、乗り主の指示に合わせて迷いなく四肢を動かした。
フェリドはそれ以上歩を速めることはせず、散歩の続きのように森の中へ入った。表情は戦場に向かうときのそれに酷似していた。
作品名:闘神は水影をたどる<完> 作家名:めっこ