かなわない
「は?」
「今すぐキスして欲しいヨ」
何を言ってるんだそもそもここは人通りは少ないとはいえ道端で、そうだ公共の場だというのにキスとかキスとか。おまけに今だって目立っているというのにこれ以上注目を浴びろというのかこの娘は。
足を挫いた台湾をいわゆる姫抱っこした態勢で、中国の頭の中を正論が勢いよく駆け抜けた。最初は背負おうとしたのだが、スカートだからと嫌がったためにこれで落ち着いた。
何が嬉しいのか随分とご機嫌な台湾は、自分を抱き上げる中国の顔をにこにこ見つめ、あれやこれやと楽しげに会話をつむぎ。
人通りが少ないとはいえ往来で、人を姫抱きして歩く姿は通り過ぎる人々から好奇の視線を浴びた。
だからキスなどととんでもない…のだが、台湾は中国の意見に耳を傾ける気はないらしく。
「ね、せんせ、キスしようヨ」
「こんなとこでできるわけねーある!」
「え~、そんなことないヨォ」
なおも求めてくる台湾を赤くなりながらも諭すのだが、少女は問題ないと顔を近付ける。間近に迫った唇に焦り、つい言ってしまった。
「い、家に着くまで待つよろし!」
あくまで駄々をこねる台湾を宥めるためだったが、聞きようによっては彼も彼女とのキスがしたい…しかし場所が場所だけに今は泣く泣く我慢する――とも解釈できる。
キスがしたくないのかと問われれば決してそうではないのだが。
中国の言葉に伸ばしていた背を縮めた台湾が、キラキラした瞳で見上げてくる。
「お家着いたら、いっぱいしてくれますカァ?」
「……い、家なら、まぁ…」
「約束ですヨ?」
……キスがしたいかしたくないかといえば、したいのだ。よって頷いた中国だったが、曖昧な言い方が引っ掛かったらしい。
絶対だと迫られる。
小さく首を傾げる仕草は大変可憐なのだが、この少女に振り回されている気がしないでもない。内心溜息をつきたくなった。
「せんせってばぁ」
「わ、わかったあるわかったある!」
急かされ、中国は照れ隠しもあり若干ヤケ気味で返事をする。
「じゃぁ、はやく帰りまショ」
ハッキリとした返答ににこりと笑った台湾が、顔を肩に預けてくる。相変わらずご機嫌なようでハミングまでしだした。
やれやれと思いながらようやくまた歩き出す。夕日を受けた景色のなか、懐かしい旋律が腕の中から聞こえる。
家に着いたら夕飯の仕度の前に、まずは台湾の足の手当てをしなければ。でもそれより先に約束事、を……。
「―――」
静かな出来事だった。
夕日と奏でられる旋律。
ふたり以外に今は誰もいない道の真ん中。
唇にあわさる熱。慣れ親しんだ、それ。
起きたことは単純明解。だが理解が追いつかず、瞠目せずにはいられない。
そっと、やはり終わりも静かに。破ったのは、動揺が詰まった声。
「わ、湾!」
約束を反故にした彼女からのキス。
抗議の声は、ちっとも効果がない。台湾は悪びれる様子もなく、それどころか愛らしく笑う。
「だってここでしない約束は、してないヨォ?」
だから嘘をついたわけでもない。もちろん、約束を破ったことにもならない。
えへへ、と笑う彼女の言うとおりで。
だが屁理屈だ。台湾を叱れないこともなかったが、脱力してしまいそんな気にもなれない。
「せんせ、はやくお家帰りまショ」
それで、いっぱいキスしましょ?
――ああ。
振り回されているのは百も承知。けれど、それがまた可愛いなんて、自分も大概だ。
中国は自身に対して苦笑すると、仕返しとばかりに微笑む小さな唇に熱を伝えた。