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紫陽花と6月の幸福論者

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お向かいの家の庭の、紫陽花がきれいな水色に染まっていた。

わたしはいつもベランダに洗濯ものを干すときに、その家を見るともなしに上から眺めていたのだけど、きょうだけは、白い正臣のシャツをにぎったまま、おもわずじっと見てしまった。

その家は、若くてきれいなお母さんと、ちいさな、5歳くらいのおんなのこがいる。それを知っているのはときどき、朝の8時くらいにゴミを捨てにいくと、多分幼稚園にいくんだろう、スモッグをきたおんなのこの手をひいてる、女の人がその家から出てくるのを目にするからだ。お父さんらしき人は、まだきちんと見たことがないのだけど、お夕飯の時間に家の前を通ればたのしそうな声が3つ、きこえてくるのできっと3人家族なんだろうなあとおもう。

それはたぶん、ありふれた、人並みの、しあわせな家庭ってやつだ。
もちろん完ぺきな幸せなんて、この世界にはないだろうから、お母さんもお父さんも、それからもしかして5歳の娘でさえも、それなりに人生の悩みというものを抱えているんだろう。だけれど、紫陽花のある家で、あたたかいご飯をいっしょにたべて、笑いあうというのは、きっと誰にでも平等に起こり得るべき、幸福なのだとおもう。

ただその平等が、わたしにはなかっただけだ。自分の生まれた環境を呪うことは、姿勢的には折原さんに出会ってからで、根本的には正臣と出会ってから、もう無いので、わたしはもうくるしかったおよそ10年を、恨みになんてちっともおもっていない。

そうしてわたしは、ここ最近が、たぶん、ここ1年のなかで、最も幸福な時間であると、おもっている。10年間がすべて、払拭されるくらいに。

この1年が、苦しくはなかったけれど、しあわせともおもえなかったのは、やっぱりわたしは正臣が好きだから、毎日はむずかしくっても、時々会って、はなしをして、なにががあったのだとか、なにがうれしかったのだとか、なにがかなしかったのだとか、そういうことを、共有したかったからで、だけどそれは、なかなか叶わなかったことだった。
白い病室で、ただ待つことを、あのときはもしかしたら幸せだとおもっていたかもしれないけれど、おおよそを手にいれてしまったいまでは、そうとも言えない。
人間っていうのは、ほんとうに欲深いいきものなんだなあ。
なにかを手にすれば、それ以上を望んでしまって。それが、もしかしたら、彼をくるしませているかも、しれないのに?

わたしにとって現在は、たいへん幸福なもので、わたしは正臣にいてほしいし、たぶん、正臣もわたしにいてほしいという、お互いの希望が合致している状態だ。なので、わたしがしあわせなら、正臣もしあわせなんじゃないかなって、思ってた。ちがう、そう、おもいたかったのだ。

わたしは知っている。
時々、夜遅くに、正臣が携帯の電話帳のページをずっと見つめていることを。それからときどき、携帯で数分ほど、なにかを、くるしそうな顔で、打っていることを。メールにしては長すぎるので、たぶん、チャットってやつだろう。携帯という小さな無機質の物体を、正臣は、わすれものをした子供がするような、不安とかなしさが混ざった表情で、見つめている。
わたしには元々、うまれたときから、抱えるものがない人間なので、正臣と2人でいることを選択したときに、捨てるものなんてなにもなかったけれど、正臣は、ほんとうに、たくさんのものを捨てたんだとおもう。
いや、いまでも、それを捨てきれないのだとおもう。

だからわたしは、こわくてきけないのだ。
正臣、いま、しあわせ?って、こんな簡単で、残酷で、非情なことが。

わたしの夢は、すごくささやかなもので、ほんとうにありふれた、ごくありふれた、普通の家庭を、たいせつな人とつくることだ。自分がどうしても手に入れられなかったものを、与えられなかったものを、この手でつくることだ。
べつに紫陽花がなくてもいいの、あったらうれしいけど、そうじゃなくていい。家も大きくなくていいの。小さなアパートでも、あたたかいごはんを、家族というものと、笑って食べられるなら、それでいいのだ。

わたしは気づいたら目からぼたぼた液体をこぼしていて、うっかり握っていた正臣のシャツに、しみをつくってしまった。
眼下にある、箱庭のような、わたしの夢はどんどんぼやけていく。水色の紫陽花が、まるで水彩画のようにあわくなった。

互いの幸福の天秤は、なるべく平等でなければいけない。どちらかかたっぽが満たされていても、それはもう、幸福なんかじゃなくて、ただの泥船なのだ。沈むことしかできない、進むことも、戻ることも、もうできない。

液体は、どんどん、どんどん目の奥から、いったいどこから分泌されるのかわからないくらいでてきて、わたしはもうシャツを目に押しあててわんわん泣いた。鼻がつまって、いきがくるしかった。あたまもすこし、きんきんしていた。心臓がばくばくいって、嗚咽といっしょに口から出そうだった。しあわせってやつは、ときどきこんな風に牙をむく。

下からちいさな女の子の声がした。そっとシャツをどかせて、ベランダから道路を見降ろしたら、向かいの家の女の子が、買い物袋をさげたお母さんに手をひかれながら歌をうたっていた。なつかしい、梅雨の童謡だ。2人で家にはいっていく。しあわせが、具現化されたもののなかに。
わたしの手にも、それを持つ権利はあるんだろうか。幸福は、どの人にも平等ではないのだろうか。すべて平等なのは、或いはこの世の不平等なのだろうか。むずかしいことは、あんまりわからない。ただ、どうして、正臣とおなじしあわせになりたいだけなのに。

やわらかい6月の風が、いっかいさぁっとふいた。空はまだ青かったけれど、ほんのり雨の匂いがした。おそらくこれからひと雨くるんだろう。せっかく洗濯もの、干したのになあ。しまって乾燥機にかけようかまよったけれど、もう、放っておくことにした。
わたしの手には、いまは濡れてしまった、シャツしかないのだ。
作品名:紫陽花と6月の幸福論者 作家名:萩子