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Effects&Truth

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Truth・3


そこは、寒い部屋だった。
ドイツの冬は日本より厳しく、今も雪はしんしんと降り積もり、そこから空気を凍てつかせていく。
暖炉で十分に火を焚くための薪を買えないこの家は、外と同じ、とまではいかないが、寒い。
肺へと入った空気がじわじわと体内を浸食するような寒さである。
風邪をひく彼には相当辛いはずだった。
事実、熱に浮かされて、吐息は荒く、空気中ですぐ寒さに白く染まる。
それ故か、上気した頬にさえ、病的な儚さがあり、精神的なやつれをより強く感じさせた。
彼は会わない一日にも満たぬ間に急速にやつれたようだった。

僕は彼へと歩み寄り、額の上にある濡れタオルをどかして、水分が乾いて張りついた前髪をかき上げてやった。
タオルを戻そうとして、ふと僕は指先から伝わる微かな振動に気が付く。
それは、彼の震えだった。

…まだ、熱が上がっているのだろうか?

僕は彼の手を取ってみた。
やはり、震えていた。
じっとりと汗ばんでいるのに、彼の手は僕の手が持つ熱を待ちかねていたかのように奪い取っていった。
僕は脇に置いてあった椅子を引き寄せてそこに腰掛けると、ずれていた布団を引き上げ、再び、彼の手を握った。

君のためなら、幾らだって熱を与えよう。
だから、早く治ってくれ…。

祈るように強く彼の手を握り締めた。
彼が苦しまぬよう、願わずにいられなかった。

「あの…」
不意にドア付近に立っていた女が話しかけてきた。
僕が返事を返す気にならず黙っていると、勝手に続けた。
「豊太郎さんは、昨日様子がおかしかった。
雪や泥にまみれ、髪を乱して帰ってきた。
私はおかしいと思ったけど、豊太郎さんは帰ってすぐ倒れてしまって、話を聞けなかった。
豊太郎さんに、あの日一体何があったの?
あなたなら知っているんじゃないんですか?」
怯えのように声を震わせながら、女は僕に問うた。

…今がチャンスなのかもしれない。
彼の意識が定かでない時に言ってしまうのはフェアじゃないが、今言わずにいつこの女に真実を告げることが出来るか自問してみても、やはり今しかないと言う。

僕は、振り向かずに即答した。
「彼は日本へ帰る」
「嘘…!」
「本当だ。僕の仕えている天方伯の誘いを彼は断らなかった」

沈黙。
彼の吐息以外何も耳に入らない。
彼が温もりを求めておそまきながら握り返してきた手を、僕は両手で包み直してやった。
「彼が愛しているのは僕だ。お前は、僕のいない隙につけ込んだに過ぎない」
「…なら、この子は?お腹の子はどうなるの?」
僕は呆れて、女を振り返った。
必死な顔をして、僕に答えを求めている。
「…聞かずとも、分かるだろう」
女が呆気にとられている様さえ、僕は何の感情もなく見ていた。
この女が何を思おうと、何をしようとも僕には関係がない。

彼の確かな温もりと胸中の想いだけが僕を動かすのだから。

僕は彼の額へそっと口付けた。
確かな感触が僕に安堵を与える。
久しく忘れていた甘やかな安堵が僕の心を満たしていく。
「…あなたは、間違っている」
「お前にそれを言われる筋合いはない」
僕はことさらゆっくり、彼の額から唇を話すと、冷酷な思いで、女を見据えた。

内面からにじみ出るような美しさのない、ただ上っ面だけの女。
この女に彼がたぶらかされたのかと思うとはらわたが煮えくり返るような思いだが、その原因の一端は僕にある。
この境遇より彼を救い出すことこそが僕の本願。
そのためならば、どんな苦渋さえも甘んじて飲もうではないか。

「僕らの想いは、世間的には間違いかもしれないが、胸中の真実だ。
お前のように、異なる願いのための取り繕ったような上辺だけの愛ではない」

「偽りはあなたの方だ。わたしは心の底から、豊太郎さんのことを…」
続けられるはずの言葉が、音にはならなかった。
「…何故、言い切れない?」
僕の皮肉をたっぷりと込めた言葉にも、女は唇を噛むだけで何も言おうとはしなかった。
無言は肯定と同じ事だ。
彼への愛情が偽りだと認めるのと、同じ事…。
「彼のことを思うのならば、その子を下ろせ」
この女は、生活のために金を欲し、金への愛情を彼への愛と錯覚して偽りの愛を述べているだけだ。
真実の愛とは、見返りのために存在するのではないから。
だからこそ、錯覚の愛の結晶は錯覚の愛しか得られず、不幸になる。
気づいた者が、助言するのは、当然のことだろう。
「あなたの言うことなど聞かない」
「彼は日本に帰るんだ。それが、彼の答えだとは思わないか?」
女はハッとしたように顔を上げた。
よろけて壁にもたれかかると、今まで注視していた僕の方から、ゆっくりと彼の方へ視線を移した。
手のひらはすがるように、自らのふくれた腹にそえられている。
「本当ですか…?私は、あなたにとって、必要なかった…?」
エリスという存在は確かに彼に必要な存在だっただろう。
僕との別れを悲しんでいた彼の淋しさを埋めるために。

しかし、そこには誤算が二つあった。
一つは、エリスの愛が偽りであったこと。
彼が求めるような心の底からの純粋な愛ではなかったこと。
そして、彼が日本への帰り道を失ってしまったこと。
彼に引き返す道を残していなかったことだ。
結果、彼は追いつめられ、この女への罪悪感故に何も考えられなくなってしまった…。

僕は、彼とこの女に引導を渡すためにここにいる。
どちらも本気になりきれていない中途半端な恋愛関係に、ピリオドを打ってやることが、僕が彼のために出来ることだ。
今は恨まれてもいい。
将来の彼の安泰を与えてやれるのなら、それでいいのだ。

何者をも傷つけぬ恋愛など、存在しない。

「あなたはそこまでしてわたしを欺(あざむ)きたかったのですかっ!!」
女が咆吼(ほうこう)を上げ、とうとう縋(すが)りつく力も失って、倒れた。



彼に全てを明かした後、僕にはわずかな罪悪感が残った。
狂ったエリス。それを直視して落胆する彼。
全ては僕が招いた結果だ。
僕は最悪の形で彼らを引き裂いたのだから。

だからこそ思う。
『僕がやったことは、本当に正しかったか…?』と。
彼のため、と言ってやったことが、実は自分のためだったのかもしれないという考えが不意に胸中をよぎった。

…事実そうだったのだろう。
僕は彼を失うことが怖かった。
彼のいない生活。彼が僕のことを想い返してくれない事実。
僕はそれを受容することだけは出来なかった。
だから、彼が僕だけを想い続ける状況が欲しかった。
他の誰にも彼を奪われたくはなかった。
異なる日々を送る前の、二人に戻りたかっただけなのだ。

だが、僕らは過去の二人だけの日々へと完全に帰ることは、永久に出来ないのかもしれない。
それでも、あの瞳に捕らわれた僕の心は、永久に彼を想い続けるのだろう。
作品名:Effects&Truth 作家名:狭霧セイ