にがて。
ぷっつりと小さく裂けた皮膚から滲む赤。
幸い傷は大したことないようで、安堵のつもりで吐いたため息は、疲労感でいっぱいだった。
嗚呼、今日こそは無傷で、と意気込んでいたのにやはりやってしまった。
魔物と戦ったときですら、こんなに傷はできないのに。
事実、自分はこうして戦っているのだ。
・・・・・・料理と。
どうしてこう、下手なのかしら・・・
できないのではないわ、人より少し苦手なだけよと人には言っているけれど、自分にだって解っていた。
向いてない、を通り越してまるで拒否されているような、そんな感じなのだと。
手先は確かに器用な方ではない。材料はごろごろと大きめにしか切れない。
男くさい料理だな、そう言われたこともある。
それでもいたって普通くらいだわ、きっと。
そもそも手先が器用だからといって料理が上手だとは限らないではないか。
問題は味なのだから。――味が良いのならばまだ良い。
しかし自分は、どちらも駄目なのだ。
戦場ではいつも回復役に徹しているが、こればかりは逆に負傷者を出してしまうのだから相当なものだろう。
――自分ではそんなに酷いと思わないのだけれど・・・。
料理は愛情!
かのワンダーシェフはそういうけれど、もう愛情でどうにかできる問題ではないように最近、感じる。
再び包丁を掴もうと伸ばした手は少しだけ、震えていた。情けない…。
けれど、包丁を掴もうと伸ばしたはずの腕は不意に上へと持ち上げられて、思わずきゃあ、と柄にもない悲鳴をあげてしまった。
聞かれたかしら、と振り返ったら、どうしてか一番聞かれたくなかった男がそこに居て。
「怪我してるぜ、リフィルせーんせ」
にやにやと笑いながら、ゼロスが今し方切り終えたにんじんを一切れ口へ運んだ。
この行儀の悪さ、加えて下品さ。果たして本当に貴族なのか・・・時々そう思う。
「離してちょうだい、大した傷じゃないわ」
振り払おうと力を入れたけれど、大の大人、しかも男に力でかなうはずもなく、余計に状況を悪くしただけだった。
宝石のような蒼の瞳に捕われて、視線を外すこともできなくて。
「なーになに、このくらい舐めときゃ治るっしょ」
何を、と言う暇もなく、ゼロスはリフィルの指から滲む血をいきなり舌で舐めとった。
まあ不衛生ね、嫌味が出ても、逆効果だったのかゼロスはわざと音をたてて吸い上げた。
あなたこんなことを色んな女性にしてきたんでしょう、そう言ってやりたくなったが、やめた。
言ったとしても虚しいだけだし、何より不覚にもこの男に一瞬、どきりとしてしまった自分がそこにいたから。
よりによってどうしてこの男に――そんな自分に少し嫌悪感。
もしかして、私、いえ、そんなことはないわ、でも
浮かび上がる可能性と否定の繰り返し。
好きになるはずがない、こんな軽佻浮薄な男。
そして今、この男が女性を魅了する理由が少しだけ解ってしまった。
わかっているんだ、この男は、人のこころの惹き付け方を。
わかっていてやるのだから、尚たちが悪い。
――なんていやらしい。
「危うくカレーが血の味に染まるとこだったな」
「あら、鉄分が豊富でいいかと思って。人間の体内に鉄分は取り込まれにくいのよ?」
勘弁してくれ、と手をひらひらさせてゼロスは笑った。といっても終始にやけていたけれど。
そして最後に、もう一度にんじんを口に放って、彼は消えた。
今度こそ包丁をつかもうと、腕を伸ばした。
にがて、だわ。
料理も、
あの男も――
包丁を掴んだ手は震えていなかったけれど、ゼロスが吸い上げたそこだけが、とても熱かった。