東西兄弟の話
「…ただいま」
誰もいない、静かな部屋に向かってルートヴィッヒはその日も呟いた。
いつまでも聞こえては来ない「おかえり」を認識するために。
東西を分断していた壁が取り払われて、幾年月。
再統一するにあたって不安に思っていたどちらかの消滅という事態も免れたかに思え、
混乱していた経済状況もなんとか落ち着いて、ようやく穏やかな日々が過ごせるか、と思ったある日。
ギルベルト・バイルシュミット、国名プロイセンは消失した。
それは非常に突然で、本人さえそうとは分からないままに消えてしまったのだろう。
何せ朝食のホットケーキを口に運ぶ途中で空気に溶けるようにして消えてしまったのだ。
いや、もしかしたら何らかの予兆を感じてはいたのかもしれない。
あえてそれを明らかにせず、いつもどおり過ごすことを望んでのことだったのかもしれない。
それはいまや分かるはずも無いことだ。
ルートヴィッヒにとって明らかなのは、ギルベルトが消えてしまった、という事実だけだった。
自分の目の前で消えてしまったのだから、事実は事実として認めざるを得なかった。
実際、それが不思議なことではないのが現状だ。
ルートヴィッヒは国の消失を見たことは無いので、こういうことなのか、と納得する他無かった。
それはあまりに突然で、自然で、当然で
ルートヴィッヒは悲しむことさえ出来なかった。
ただ、「兄さん」と零れた言葉の行く先を目で追うだけだった。
ギルベルトが消えても、世界はあまり変わらなかった。
当然と言えば当然である。
元々国としてのプロイセンは最早この世界には存在しなかったのだから。
ではあの人は何だったのだろう、ルートヴィッヒは時々考える。
けれど、結局答えも何も出ないまま、毎日の仕事に忙殺されてかき消されていく。
毎日は、何も変わることなく過ぎていく。
朝起きて、仕事に出かける。一日忙しく働き、夕飯を外食で済ませ、家に帰る。
「ただいま」
灯りの点らぬ暗い部屋。
人の温度を感じない肌寒い部屋。
誰もいないことは明らかな部屋に向かって、ルートヴィッヒはその日も呟いた。
それとて、今までの生活と変わらぬ行動である。
ただ一つ異なるのは、返す言葉の無いことだけ。
それでも、片方が失われても、もう片方が残っていれば、それはまるで符号のように、
失われたもう片方の存在を認識させる。
ただいまの後には必ずおかえりがあると、誰もが知っている。いや、信じている。
それは物語の最後には必ずハッピーエンドがあると信じている、子供のような純粋さ、或いは幼稚さ。
「ただいま」
二つで一つの存在なのだ。
片方さえ残っていれば、もう片方を認識できる。
世界地図にドイツという地名がある限り、人々はプロイセンという国があったことを忘れずにいてくれるだろう。
少なくとも国同士の間では、ルートヴィッヒの姿がある限り、ギルベルトの面影を忘れられはしないだろう。
だからルートヴィッヒはここにいる。
国である身で、勝手にどこかへ行けるわけもないが、それ以上に、自身の意思でここにいると決めた。
「ただいま」
誰もいない部屋。
静かな部屋。
それでも、夜毎呟く。
ただいま
ただいま
ただいま
それは失われた存在を、本当に失ってしまわないための儀式。
(例えそれがただの未練なのだとしても)
忘れないで、とも言えずに消えてしまった、あの人を忘れないための儀式。
おかえりが聞こえることは二度と無くても。
************************************
「ただいま」さえ書かれていれば、対になる「おかえり」は書かれていなくても読み取れる(認識できる)なあ、と思って書いてたんだけど、途中で道を間違えている。
消失ネタ好きすぎるぜー…
とりあえず、一人楽しすぎる兄さんを見習ってしまったドイツのお話。