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こがみ ももか
こがみ ももか
novelistID. 2182
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かのひと

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太公望が斉の祖となって一年あまりがすぎた。ふらりと誰にもゆくえをしらせぬ、己もその放浪のあてを示さずにいた日々である。いったい誰が急使をよこしてこようか。道端で尊崇のこもった声で呼び止められて首を傾いだことは記憶に新しい。太公望にかしずいた男は痩身であったが声量は鋭気があり逞しく、武将だというのがすぐにわかった。
「わが君が、あなた様に一邑をお授けなさりたいと」
否定を許さぬ色をふくんだ申し出を持ってこさせた相手が誰かであるなど、聞くまでもなかった。
それからの日々は多忙の一言で片付くだろう。城を築く。城壁をめぐらせる。各所からの民を受け入れる。法をととのえ、軍と臣をおいた。外交上の取り決めも行い、妻帯したのはそういった雑務を終えた最近のことであった。後宮に女は少なく、妃とその侍女たちくらいしか身をよせてはいない。むしろ彼の家臣のほうが多くの妾を抱えていたに違いなかった。
「斉公、どうしても謁見を賜りたいという商人が門衛をひるませているのですが」
なんの乱れもなくつづく日々をわずかに切り剥がしたのは臣の進言だった。斉国は多民族国家で、あらゆる人種をひろく住まわせている。それだから異国からの訪問者は珍しいものではなかったが、王宮に詰め寄り君主への謁見を請うということは稀にみない事態である。しかしそこは太公望という男で、目を通していた書簡から顔をあげると悪戯な笑みを浮かべて問う。
「どんな者だったかのう」
「はあ、二十代なかばほど、珍しい青髪でたいそうな美丈夫だったと聞いています」
「名は、名を聞いたか」
青髪、という単語に心臓が、肩が跳ね上がった。外側からは小さな反応だったかもしれないが、内心ではそれこそ心停止に追い込まれる錯覚に陥る思いがした。瞬時に青い髪を風にたなびかせ、たおやかに白い犬の上に腰かける男が想起される。青髪など、あの男よりほかにそうそうあるとは考えられない。肉付きの薄い指は愛しげに犬をなで、それから髪をあきあげる。深海のごとく重厚な青が陽射しに透けてきらきら光った。目線が交わると決まって人懐っこく笑う。その手も、笑顔も宝物だった。己にだけむけられていると知っていたから甘えられず、しかし寄りすがっていた時期もある。彼の口から真剣な告白を聞かされるたびに胸が締めつけられた。大切にしたい彼を傷つける存在になろうとは知らずに飲み込んだ言葉を、取り返せるはずもなかった。最後にあの腕に抱かれたのは、果たしていつのことであったか。
「楊ぜん、と名乗ったと門衛からの達しがございます」
「そうか。よい、そやつを、通せ」
「御意」
声が上ずってはいなかっただろうか。そればかりを気にしていた太公望に余裕など残ってはいなかったといってよいだろう。
程なくしてその男は大きな箱を携えて跪いた。間違いなく、楊ぜんであった。青髪をきっちりと束ね、姿勢よく頭を下げている。何よりも彼の青が懐かしい。太公望の知る、ただ一人の楊ぜんである。しかし以前のように呼び合えるはずもなく、彼はわずかに低い声色をつくって面を上げよ、と小さく命じた。上下関係というものはむしろ変わっていないかもしれない。無理矢理に仲間以外へ置き換えるならば太公望は上司、彼は家臣だった。ただしこういう方法を太公望自身は好まないだろう。できればいつまでも対等に渡りあいたい。それが彼の本音に違いないだろう。楊ぜんはすっと首をもたげると笑んだ。静謐な微笑である。腹を抉る痛みが、太公望をかけた。
「この楊ぜん、本日は斉公にこの珍しい桃を献上したく無理を承知で参上いたしました」
「何故、桃を」
「風の噂にございます。斉公におかれては、大の桃好きであると」
右脇に据えた木箱を軽く開いて楊ぜんが中身を披露する。太公望の傍に控えた側近たちに敵意はないと証明する意味もあったのだろう、彼らの表情に曇りがなくなったのを認めてから蓋をしめた。楊ぜんの視線は常に太公望を捉えていた。みられている、という表現よりもむしろ凝視されていると形容したほうが正確だろうか。あまりに熱心な訴えにかえって意識をそらすことができなかった。彼の深く澄んだ瞳は無言のうちに多様を語っていた。今までいったいどうしていたのか、何故仙人界に顔を出さなかったのか。かようにして斉の始祖になり得たのか、また何故引き受けたのか。大切な人を奪った怨恨をどう晴らすつもりなのか。今日の今日まで、健勝であったか。怒りや不安、懐かしさや心配の奥に憎悪が垣間見られる。どれから答えてやろうかと思案するも、すぐにできないのだと想到して落胆した。楊ぜんに太公望と話す意思があるのならば商人を装って入城をせがむのではなく、初めから仙人として門衛に迫ればよかっただけの話である。人間界に道士、仙人の類が現れなくなって久しいものの、その存在自体は未だに信じられている節がある。また一昔前に彼らが人間と友好関係にあったことも多くの人が聞き及んでいた。ゆえに彼がその身分を示してさえいればこんな回りくどい、ともすれば無謀にしか映らない行動を起こすまでもないのだ。楊ぜんには、話し合う気がまるでない。そう勘づいて太公望は一番尋ねたかったことを言葉にした。それは斉の君主として発してもおかしくない一言であり、多重の感情がありながらしかし無難な問いだった。
「おぬし、大事、なかったか」
「もったいないお言葉にございます」
楊ぜんが何を目的として来訪したのかはつかめなかった。丁重な会釈に謝意を表した彼から何か読み取れまいかとしても結局得られるものは皆無である。精一杯の誠意をこめた労いのたった一言に楊ぜんは大いに満足げに頷いた。あたかももう未練はない、といいそうな面持ちであった。はっとして俯き魏ミニしていた顔を上げる。彼はもうここへ来てはくれないのかもしれない。楊ぜんの名を、容姿を臣下から報告されたときどこかに安堵が生じた。会いに来てくれた喜びと、それならばもう一度貢物を口実に訪れてくれるのではないかという期待である。だがそれは所詮浅ましい願望に過ぎず、彼の晴れやかな双眸には決してそういう将来像が覗かれない。立ち上がろうとする楊ぜんを慌てて制し、焦燥のままに詰問する。
「のう、また桃を持っては来ぬのか」
「それは天のみが知ることにございましょう。人の生というものはまったく確証がないのです、斉公。ああ、では、わたくしは、これにて。ご無理を許容してくださったお心の広さ、決して忘れません」
「帰途も、大事ないよう祈っておる」
「ありがたく存じます」
悠々と人生を説き、楊ぜんはゆっくり去っていた。太公望はその背中をじっとみつめ、やがて彼がいなくなっても放心したようにそこをいつまでも凝視していた。
作品名:かのひと 作家名:こがみ ももか