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午前二時、不機嫌な私

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午前一時三七分。部屋の隅、床の上に直置きされたデジタル時計を眺めていた私はベッドの上で一つ伸びをする。天井の蛍光灯はすでに消されて、部屋を照らすのはベッドのヘッドボードにつけられたクリップ型の灯りだけ。電球色の頼りない光に照らされた部屋はそこここに薄い影が揺れて、何というか雰囲気があると言っても良い、そんな感じになっている。
--なのに
 横たわったままそっと視線をずらす。すぐ目の前にある幹也の背中。少し伸びてきた黒髪と黒いTシャツ。今は見えないけれどその下のロングパンツも黒で、どこまでが影でどこからが本体なのか分からないような体のあいつは、のんびりと文庫本なんか広げていやがる。
--別に良いけど
 内心そう呟いて、でも胸の中に鉛が沈んでいくような感覚が全然良いなんて思ってないことを教えてくれる。だけど、私のこの不満が酷く自己中心的な、端的に言えば我侭であることも分かっていて、その事が尚更私を苛立たせる。そのくせ--
「どうしたの、式? 眠くなった?」
なんてあいつが優しげな顔で抜かすから、思わず別にと不機嫌な声で返してしまう。そんな私の反応はどう考えても理不尽なのに、あいつは気にした様子もなく、じゃあ、そういう事にしておこうかと文庫本を閉じ、押入れから毛布を取り出す。そしておもむろにそれを床に敷くなり、僕が眠いから寝ることにするよとへらへら笑って、おやすみ、式と灯りのスイッチに手を伸ばすものだから、私は思わずその手に噛みついてしまう。
「痛っ、どうしたの式?」
噛みつかれた手を振りながら怪訝そうな顔でこちらを見下ろしてくる幹也。
「別に……」
ただ、まだ眠くないだけ。そう答えて、ごろんと背を向ける。こういうとき言葉が足りない自分が悔しくなる。鮮花ならもう少し上手く伝えるのかもしれない。そう思いながら目を瞑ったとき、枕元がすっと沈んであいつがそこに腰を下ろしたのが分かった。それでも振り向かないでいると、髪の中にそっと細い--だけど、女の私とは違う--指が潜り込んでくる。それがワイングラスを扱うような優しさで撫でてくれるから、私は思わず振り向いてしまう。
「折角来てくれたのに、ごめん。寂しい思いさせちゃった?」
「--っ」
困ったような笑みを浮かべてそんな真っ直ぐな言葉をぶつけられたから、喉がつかえたようになってしまって、まずいと思ったときにはもう遅くて耳まで真っ赤になった私の顔はきっと見られてしまっている。
今更否定するのは余計恥ずかしい気がしたから、寂しかったと口にする。ぎょっとするあいつを溶けそうなくらい熱を持った顔でこれでもかというくらい真っ直ぐに見つめてやる。
「え、えーと、式。ごめん。悪かった」
「ダメ、そんなんじゃ赦さない」
こういうとき、だったらどうすれば--なんてこと言ってはいけない。そんなのつけ込まれるだけだって決まってる。それなのに、あいつはするりとそれを口にするものだから、私はため息をつく。
「……このお人好し」
「え? ごめん、式、もう一回言ってくれないかな」
「嫌だ。そんなの自分で考えろ……ばか」
そうして、私はごろりと反対側を向く。身体の位置をずらし幹也から離れて、目を閉じる。暗闇の中、鋭敏になった耳があいつが立ち上がり、頭をかいたことを教えてくれる。そして、かちりという音とともに灯りが落とされ、私の隣、ベッドの空いたスペースに潜り込んでくる。
「枕、一つしかない」
背を向けたまま言う。
「そうだね。じゃあ、これは僕が使うよ」
私の頭を支えていた枕がするすると抜かれ、だけど首に力を入れなくてもベッドに墜落することはない。
「式はこの枕を使いなよ」
「お前、たまに恥ずかしいことを平気で言うよな」
私は毒づきながら、首の下、そっと差し込まれた腕に身体を預ける。上からかぶせられた薄い毛布。暖かさのサンドイッチが心地よい。
「平気なつもりは無いんだけどね……。それより式、寒くはない?」
別に……と言おうとして気が変わった。私達はお互い素直とは言えないし、恥ずかしがりだから、だから、今日くらいは思いっきり甘えてやっても良いんじゃないか、そう思ったから、少し寒いかも、と答えていた。
なのに、あの馬鹿がこの後に及んで、床の毛布も拾ってくるねと立ち上がろうとするものだから、私の枕、その親指を甘噛みしてやる。
「式?」
こちらに向けられる視線をあえて無視して、あいつの掌に顔を埋める。
「枕がこれなんだから、毛布もそれにあわせたのにしろよ」
言いながら顔が熱くなった。式だって結構恥ずかしいこと言うじゃないか、そんな風にぼやきながらも、もう一本の腕で私を包み込んでくれる。その手がすっと髪の中沈んでいくから私は目を閉じる。
「おやすみ、式」
私の好きな撫でられ方を知っている指。私に撫でられることの歓びを教えてくれた指。私の大好きな指。その甘い感触に目を閉じながら、私はもう片方の手に、私だけの枕にそっと唇を寄せた。
「おやすみ、幹也」
作品名:午前二時、不機嫌な私 作家名:あおはね