ねがい
「どっちが良いかなぁ……」
ピンク色の、レースで飾られたシンプルな下着だけを身に纏った格好で、ハンガリーは鏡を見ながら唸っていた。
二着のワンピースを抱えて、それを交互に合わせてみる。今、彼女の部屋では、何着もの衣服が散乱していた。昨晩、散々迷っていたはずなのに、未だに着て行く服が決まらないのだ。
今日は、彼女にとって大切な日だった。かつて二重帝国を成立させた日……言わば、正式な結婚記念日だ。
色々あって、一緒に住む事になって結婚をして。その記念日には毎年、二人でデートを楽しんだ。また色々あって、離れる事になったけれど、その後も習慣のようにこの日は共に過ごしている。
ハンガリーは意を決して頷くと、片方の服をベッドへと放り、手にしていたワンピースに袖を通し始めた。それから、散らせた衣服を丁寧に畳み始める。それを全て元通りにしてから、身支度を整えた。髪を梳いて、花の髪飾りをつけ直す。普段よりも少しだけ着飾った格好で、彼女は家を後にした。
目的地は、オーストリアの家。かつて自分も住んでいた、大きな屋敷。緑の溢れる広い庭を抜けて玄関の呼び鈴を鳴らすと、程無くしてオーストリアが出て来た。
「こんにちは、オーストリアさん」
「いらっしゃい、ハンガリー」
ハンガリーは目一杯の笑顔を見せると、促されるまま中へと入った。そのまま通されたリビングのソファに掛けると、オーストリアは一度キッチンへ向かった。すぐにトレイを持って、彼は戻って来た。運んできた物は、おそらく彼の手作りなのだろう、切り分けられたドボストルテだ。向かい合って座り、フォークを手に取った。
「頂きます」
上に乗っているのはカラメルを流した生地の飾り。見た目はシンプルだが、一口食べてみれば薄焼きの生地とチョコレート風味のバタークリームが層を成していて、甘さが口の中に広がる。手間の掛かるこのトルテを――それも、ハンガリー発祥のものを――自分の為に用意してくれたのだと思うと、自然と口元が綻んだ。
彼は材料も良質な物を使って作るから、味も絶品だ。オーストリアは、僅かに緊張した面持ちで自分をじっと見ている。
「美味しいです」
素直に称賛の言葉を返すと、彼がホッとしたのが分かった。
「そうですか」
それから食べ終えるまでの間は、近況などの他愛ない世間話をしていた。
いつもと同じようで、包み込む空気は少しだけ違う。二人きりでこうして過ごすのも、もう数えきれない程あるというのに、暮らし始めた頃のような緊張が、浮かぶ。特別な日という意識が、そうさせているのだろうか。それは、決して心地の悪い物ではないけれど。
食べ終えた食器を片付け、それぞれのカップに二杯目の紅茶を淹れると、オーストリアは再びソファに掛けた。今度は、ハンガリーの隣へと。
「あれから、随分と経ちましたね」
カップを手にして、ハンガリーは言った。オーストリアは頷いてから、更に言葉を紡いだ。
「前にも言ったと思いますが。私が貴女と一緒になったのは、国の為でした。そして貴女と離れる時も」
「……はい」
ハンガリーは目を伏せた。それでも微笑んでいる口元は、寂しさを湛えている。
「ですが私は、貴女と一緒になったのを後悔した事はありません」
オーストリアは淡々と告げると、紅茶を一口啜った。ハンガリーは、じっとその表情を見つめている。
「これは言っていなかったと思いますが」
少し間をおいて、オーストリアはまた口を開いた。
「もし、立場を捨ててしまえるのならば。もしも、私達が人であったのなら。私は、貴女と添い遂げたいと思っていました」
思いもしなかった言葉に、ハンガリーは目を見開いた。
「叶わない夢です、馬鹿馬鹿しいと、自分でも思いますよ」
「オーストリアさん……」
「身勝手な話ですが。今は、結婚という形ではなくても、このまま何十年……何百年先でも、貴女の手を取って共に居られたらと、そう願っています」
ハンガリーの手を取り、言葉を続ける。
「この気持ちに嘘はありません。ハンガリー、貴女をずっと愛しています」
真剣な眼差しに、どくん、と心臓が高鳴った。何か、返事をしなければ。そう思うのに、言葉が出て来ない。
自分だって、叶う事ならばずっと傍に居たかったのだ。想う気持ちは、昔からずっと変わらないのだから。
言葉の代わりに、触れた手を強く握り返す。それを見て、ふ、とオーストリアが笑みを浮かべた。引き寄せられ、胸に強く抱き締められる。
「もう少しだけ、このままで居させてください」
「……はい」
そっと背中に腕を回し、ハンガリーは目を閉じた。