だから困る
美の手をとり、国はその甲に口づけをする。
雲の合間から降る光を受け、地の緑が涼やかな風に歓喜して揺れる。
国の翠が、熱に浮かされたように恍惚とし、美を写す。
祝福を。祝福を。
紡ぎだされる言葉は、しかし音としてではなく、美の手の甲から全身を撫ぜた。
「エリザベス」
国が美の名を呼ぶ。
「愛しい女王陛下」
これから先、列強を食まんとする国から、憂いのない翠から、ともすればただの青年の口から、劣情すら感じられるほどの熱い、熱い音があふれ出た。
手を預けたまま足元に意識を奪われる女王。息がかかるほど近くに、女王の手の甲の近くに顔を留める国。短くもあり、長くもある時間が混ざり合う。
不意に、潮騒が、風にそよぐ草原の音が、否、数多の人々の喝采が聴覚を埋め尽くした。
その音がそれと知れた瞬間に、パチンと何かがはじけたような気がした。
紡がれた歴史が歴史を紡ぐ者に渡り、あるいは歴史のひとかけらが歴史の語り部に渡り。先ほどまでに確かにそこに在った濃密な路は、はじけ飛んで何かに変化して・・・
「女王陛下」
立ち上がれば自分よりも背の高い国。
「陛下の民たちがお呼びです」
小さくうなずき、あなたの子供たちが、と返せば、青年はなぜか切なさの滲む笑みを見せた。
この微笑み。
あぁ、あの微笑み。
あなたを守れてよかった、と息に紛れてつぶやけばそれが返ってきた。
寝具の上から、宝石のように美しい翠に老いの刻まれた手を伸ばす。
よかった。よかった。まだこんなにも輝いて。
私のイングランド。
私の愛したイギリス。
「綺麗ですね。とてもきれい」
幾人もの統治者を、数え切れないほどの国民を見送ってきた彼が泣いてくれている。
ありがとう。
ありがとう、いつまでも元気で・・・
細やかな彫刻の施された石製のクロス。地面に建てられているその根元の石版には、ヒトにとってははるか昔に生きていた女性の名前が彫られている。
「初めてじゃないの?坊ちゃんがここにきてくれるの」
によによとしゃべるそれは、かつてはこの地に頭をこすりつけ、大粒の涙を流し、声が嗄れてもなお叫び続けていた男だ。神がつけた美しい名前を。業火の明かりが砂利をこんこんと照らすのを見、炎の熱が服の上からしみこんでくるのを感じながらいつまでも。
松明を放った手、処刑の途中で火を消すことを命じた喉。最後に、墨の上に落ちた十字の首飾りを踏みつけた足。この墓石の形はその時の飾りと一緒で・・・
あぁ、駄目だ。これは知るべきじゃなかった。すぐに消えてしまうヒトなんかに入れ込んではいけなかった。忘れよう。忘れたい。歴史なんてヒトと一緒に消えればいいのに。延々在り続けなければならない「国」なのに、「国」だから、ヒト並の感情なんて消え失せるべきだ。
「・・・イギリス」
イギリス、なんで泣くんだよ。
なんで、と飄々といってみせたこの男。
「おいで。むかーしみたいに、よしよししてあげる」
ほんと、昔からむっつり一人で泣くの好きだよなぁ。お兄さんに理由の一つくらい教えてくれてもいいじゃない。
言いながら、自らイギリスに近づいてきた。
「まったく、金色毛虫は大きくなっても泣き虫さんだなぁ」
うるせぇ、子ども扱いすんな、バカ。
そういって、伸ばされた手をはたく。
「イングランド、」
唐突に昔の名前で呼ばれたからか、突っぱね方が足りなかったからか、一瞬の隙が出来てしまった。
両肩を引き寄せられ、フランスの耳の横には自分の頭、自分の顔の横にはフランスの顔。
「エリザベス女王は、美しいヒトだったね」
あぁ、この国はどこまでも―――
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またこいつとケンカしてぇなって話です。
大変分かりづらい流れですみません。簡単に解説します。
若きエリザベス女王の戴冠式直前(赤い実はじけた)→老いて去り逝く女王(思い出に、ありがとう)→(女王の恋に悼たまれず、愛で返したことのあるイギリス。最期でさえ恋の言葉をくれた女王に、罪悪感やら感謝やら幸福やらを感じて鬱々となる。そのうちに、この状態ってあの時のフランスと一緒か?と思い至ってしまいました)→女王の逝去後フランスに渡り、あの子の墓前へ(これを機会に謝りたかったんでしょうか)→さすがの兄ちゃんは、イギリスのやきもきしたあれやそれをまるっと理解して、全部を受け入れてあげました。
・・・こうしてみると一番大事な部分を削ってしまったような笑