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統華@ついった
統華@ついった
novelistID. 9256
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夏の幻

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フランスと喧嘩をした。
 別にいまさらそんなことは珍しくもなくて、それでもやっぱり喧嘩別れしたあとの一人の部屋というのはどうにも居心地が悪い。何百年経とうと何回喧嘩をしようと、それは慣れるものじゃない。
 部屋に戻ってきてから、イギリスはずっとそんなことばかり考えていた。サミット期間中でどうせ同じホテルに泊まっているのだから——しかもあろうことか隣同士の部屋にしてくれたのは日本に感謝すべきなのか恨むべきなのか悩むところだ——、ちょっと部屋を出て隣の部屋のドアをノックして、一言謝ってしまえばそれですむことなのだ。1分ですむ。
 ただその1分を自分から仕掛ける勇気と決心がイギリスにはないだけなのだ。だいたい、喧嘩両成敗と言うように向こうだって悪いのに、どうして自分から謝ってやらなければならないのだという妙なプライドも邪魔している。
 なんとなく落ち着かなくて、西日に面した正面の窓辺に立ってみる。そこから見えるのは、一日の終わりに太陽が大地に焼けついていく光だ。失われていく一日への断末魔であり、生まれ変わる明日への生命の叫びだ。昼間は色とりどりにちりばめられていた家々の屋根も、清々しいほどの緑も、この瞬間は全てが赤に染まってゆく。
 もう何度も、何千回も、何万回も見たはずのそれは、荒地に緑が溢れて花が咲き、人が住み町並みが幾度変わろうとも変わらずに世界を見つめ続けている光だ。人を見つめる自分たちのように、生まれ消える星々を見つめては同じようにため息をつくのだろうか。しかし、太陽は完全である物体の象徴である。
 その永劫の孤独を思った。生まれたのだからいつか終わりが来るのではあろうその生に、寄り添うもののいない不安定さを感じた。完全であるということは、なんと不確かで、退屈なものだろうか。人は不完全で、完全になろうとして半身を求め、身体を埋めたがる。しかしそれは尽きることのない欲望であり、半身がそこにあることを確かめながら生という時間を過ごしていくのなら、その生はなんと充足し、満たされうるものか。
 そこまで考えて、イギリスは複雑化してきた思考を放棄した。
 瞳を閉じると、瞼の裏に浮かぶ面影があった。センチメンタルになっているときはだいたいそうだが、一番自分が穏やかで幸せだった、と思える幼少時代の面影が思い出されるのだ。不本意ながら側に誰か——とはいえ一人しかいない、某隣国であるが——がいて、駆け引きも策略も知ることなくただ『子供』が『子供』でいればよかったその時期が。人の似姿をしているせいか、自分たちにも半身を求めたがる性があるようだ、どこぞの貴族のお坊ちゃまではないが。自嘲気味に口角を吊り上げて、冷めてしまう前に紅茶を飲み干そうとテーブルについた、その時。
 部屋のチャイムが鳴った。

『イーギーリースー、あーけーてー』
 せっかく人がおセンチになっていたというのになんなんだこの能天気さ加減は。ついでにドアを叩くのはやめろ、他の部屋に泊まっている奴らに迷惑だ。
「うるせえヒゲ、入りたければまず謝れ」
『わーかった、悪かったって。ほら、ワイン買ってきたから一緒に飲もうぜー』
 赤がいい?白がいい?とあくまでのほほんとした口調で、ドアの外でにこにこしている。ああどうしてこいつはいつもこうなのだろう、と、イギリスは悔しさと苛立ちを覚えた。自分がこれだけぐだぐだ悩んで、それでもできなかったことを、こう簡単にやってのけてしまうのだろう。武力や戦術では決して負けはしないのに、いくらねじ伏せたとしても、いやねじ伏せたつもりでも、それはいつしか目の前の広い海の抱擁に簡単に包まれ流されてしまうのだ。
「……馬鹿野郎」
 がちゃ、と鍵を開けるとフランスの笑顔が見えて、ほっとすると同時に泣きたいくらい悔しくなってしまう。力ならいざ知らず、精神面でいつまでたっても敵わないのだと知らされるみたいで。
「もー、泣かないの。お兄さんと喧嘩して淋しかった?」
 その呆れたような慈愛に満ちた笑顔は、さっき瞼の裏で見た映像と同じではないが、よく似たものだった。そうだ、年の離れた兄たちに苛められていた頃も、絶えなかった喧嘩の後も、よくこんな表情で笑っていたのだ。少しずつ違うのは、きっと、重ねてきた年月の重みの分なのだろう。
「な、いてねえ」
 ず、と鼻をすすりあげたところで、イギリスは自分が泣いていることに気づいた。ぽろ、と零れ落ちた涙が皮切りのように、次々と涙が頬を伝って床へ落ちていく。自分の手が乱暴に拭う前に、目尻に唇がそっと触れた。両手にワインとつまみの袋を持ったままでは手が使えないから仕方なく、と理由をつけて、落としたキスの最後に舌で涙を拭ってやればイギリスがくすぐったそうに顔を押しのけた。
「……ばか」
 しかしその罵倒は既に棘を含んではおらず、安堵の滲んだ甘い響きにフランスは満足して微笑む。イギリス自身が気づいているかどうかは知らないが、自分といる時だけはこの無防備な表情を見せる。あの妖精の森で、海の見える丘の上で、いつも見せていたように。
「ね、あったまっちゃうから早く飲まない?」
 フランスが右手に持っていた二本の瓶を掲げてやると、イギリスはしょうがねえなと言いながらそれを受け取ってテーブルへ向かった。紅茶はすっかり冷めてしまっているけれど、これから酒を飲むのだからとりあえずは入れなおさなくても大丈夫だろう。この、空虚だったはずの時間を埋める誰か、の存在にイギリスは内心で素直に感謝した。そこにある、触れ合える、確かに質量と熱を持った、誰かに。
 求めていた半身、であるかどうかはわからない。もしかしたら違うのかもしれない。けれど、それだって良いではないか。それを共に探ることも、作り上げていくことも、また生の輝きに他ならないのだろうから。
一歩一歩でいい、ゆっくりでいい。握り締めたその手を、今度こそ離さなければ、良いのだ。
作品名:夏の幻 作家名:統華@ついった