夢のこと
例えば貴方が少し微笑むだけで灰色に霞んでいた世界が色付いたりだとか。
その瞳に映る自分ならば全てを否定せずとも許せてしまえたりだとか。
ねぇ、神様、神様、愛して下さいなんてこれっぽっちも思っていないんです。
必要とされていなくたって構わないんです。
ただ、ただ、貴方が笑って居て下さるのなら、それで。
「…またきたの」
「おいおい、来たのも何も、此処は一応私の所有地だぞ?」
「知ってるよ、だから入れたんじゃないか。アイズの家なら追い返してるよ」
チャイムの音で目が覚めた。1ルームの狭い部屋。僕の住処。
僕が玄関へと向かう前に、来客は合鍵を使ってドアを開けた。此処の大家兼管理人。
「寝てたのか。もう昼過ぎだぞ」
「朝は起きたよ。アイズを送り出して、こっちにきたの。
てゆうか、何の用?新しい依頼?それともこないだの件で何か不備があった?」
起き上がり目を擦る。頭は冴えていた。
寝起きの割に気分が良い事に、その事実に、僕は若干不機嫌だった。
夢の所為だ。つまりは目の前に居るこの男の所為だ。
なんでこんなタイミングで来る訳?なんであんな夢を見たの?
なんであんな夢の中で、僕は。…幸せだとか、満たされた気分に浸っていた?
「相変わらず冷たいな。お前の顔を見に来たんだよ」
思っても無い事を。
「……」
「睨むなよ。ほら、お土産」
そういって清隆は紙袋をサイドテーブルの上に置いた。メープルシュガーの様な甘い香りがする。
そうしてコートを掛け、キッチンでケトルに水をはり火に掛ける。
勝手知ったる人の家、か。不愉快だ実に。
これが夢の続き。現実の答え。
こんな男の言動に一喜一憂してた可愛らしく幼い自分。嗚呼、過去の自分に目を覚ませといってやりたい。
「どうした?浮かない顔だな」
「…嫌な夢を見ただけだよ」
「いやな?」
「最低で最悪で惨めで虫唾の走る夢」
棚から日本製のインスタントコーヒーを取り出して清隆は言った。
だから僕はわざとらしいまでの“じと目”で睨みながら答えた。
「…なんで私を睨みながら言うかなぁ」
「今日清隆の顔なんて見たくなかったって言ってるんだけど」
「私の夢か、それは光栄だな」
「…今までの話聞いてた?」
二人分のコーヒーがサイドテーブルに運ばれる。
お土産と告げられたその包みを開けると、中にはマフィンが4つ入っていた。
並ばないと買えないんだぞ、と清隆。確かに悔しい位に美味しそうだった。
餌付けなんてされるもんか、という僕の強い意志は何処へやら。仕方が無い。マフィンに罪は無い。
「夢で私はなんて言ってた?」
「別に何も」
「じゃあ何かしでかしたのかい?」
「…微笑ってたよ、気持ち悪いくらい」
「酷いな」
ソファーに腰掛け、コーヒーに口をつける清隆。手には何かの書類。
この男は此処をセルフサービスのファーストフード店か何かと勘違いしているのだろうか?
僕にも一応プライベートってものがあるんですけど。
それ飲んだら帰るんだよね?
てゆうか帰れ。
日本に帰れ。
奥さんが待ってるんだろ。新婚ほやほやの。
…聞えているのか居ないのか。僕の辛辣な言葉を受け流すこの男。日本に居る“まどかさん”とやらが不憫でならない。
マフィンを食べ終えて(それは確かに本当に美味しかった)、僕は顔を洗いシャツとスラックスに着替える。
この男は先程から軽く僕の存在を無視しているので、此方も負けじと無視を決め込む。
ソファーは占領されている為、ベッドの上で読み掛けの本を開いた。
文章を追っても、中々頭に入ってこない。夢と今の状況とで手一杯だとでも言うのか。嗚呼、苛々する。
一時間と経たずに、清隆は立ち上がり帰り支度を始めた。
横目でそれを眺める。特に言う事もない。早く帰れとしか。
コートを羽織った時、何を思ったか、嗚呼、と呟いて此方を向いた。
「ひとつ教えてやろう」
「なに」
「特定の誰かに笑いかけられる夢ってゆうのは」
それは夢と同じ微笑みで。
「その人に構って欲しい、愛されたいという深層心理の表れだそうだよ」
「…――――」
清隆はそう言った。
「―――ッ…!」
そして、僕はというと。
「ほんとに素直じゃないなぁ」
「うるさいッ!!はやく日本に帰れ!!」
「顔真っ赤にして言っても説得力がないぞ?」
「あー!!もう!!しね!!ばか!!」