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insomnie

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1.Alternating Current


 待ち合わせ場所には、見たことのある男が一人佇んでいた。少し背を丸め、煙草を煙たそうに銜えている。身を包むのはVネックのカットソーとストレートのブラックジーンズにカーキのトレンチコート。一見何ともないが、その顔を見て何かが引っかかった。既視感と違和感に興味を惹かれ目をやると、その視線に気付いたように男もまた皆守を見た。
「よォ、久しぶりだな、《微睡みの少年》」
 彼は顔の横に片手をあげて笑う。整った顔に不似合いな、口元を歪ませるような笑みだった。その妙なあだ名ですぐに思い出した。葉佩の探索を手伝っていた忍者の、知り合いだという男だった。名前は知らない。
「アンタ、ここで何やってるんだ?」
「待ち合わせ」
 そして短くなった煙草の灰を携帯灰皿に落とす。新しい一本を取り出して銜え、皆守にもパッケージを差し出した。マルボロだ。
「お前も?」
「あァ」
 一本受け取り銜えて、使う頻度の落ちたジッポライターを懐から取り出した。カチン、と懐かしくも硬質な音を立てて、青白い炎がつく。男に差し出すと、顔を近付けて彼は自分の煙草に火をつけ、息と共に煙を吐き出した。
 ふわり、と漂った煙がラベンダーの香りを運んだ気がして皆守は顔を顰める。
「悪い、煙かったか?」
 煙草を口から外して皆守から遠ざけるようにし、問いかける。
「いや」
 答えて、自分の煙草に火をつけ、熱い煙を胸に吸い込む。さらに何かを言おうとした男の、言葉を遮るように携帯が鳴った。聞いたことのない着メロにコートのポケットを探り、片手を立てて皆守に断ると彼は電話に出た。耳に受話部分を当てながら数歩遠ざかる。
「連絡が遅いぞ。どうした?」
 相づちを打ち、声を潜める。
「仕方ない、俺が行くしかないだろ」
 そして電話の向こう側から反論されたのか、眉を寄せて押し黙った。
「わかった、使わないから。誓うよ」
 出来る限りその会話を聞き流して、皆守は煙草の煙に意識を集中した。はき出した瞬間、拡散し、薄まる。体内に入ったニコチンやタールが重く沈殿し、意識を地面に縫いつけた。きっとこの一息で脳細胞はいくつも死んでいる。そうやって一歩また死に近づいて、生きている、と思う。生と死は隣り合わせだ。生きていると感じるために、きっと人は煙草を吸う。
「じゃあな、終わったら報告する」
 通話を終えて男が皆守の方に顔を向けた。片手に持ったままだった煙草はまだ長いままだったが、灰皿に押しつけて仕舞ってしまう。
「お前の待ち合わせ相手、来れないってさ」
「何?」
「どうやら同じ相手を待っていたらしいな、《微睡みの少年》」
「その呼び方は止めろ。それに《少年》って歳じゃねぇよ、もう」
 吐き捨てるように言うと、男はくつくつと笑う。
「餓鬼が何を言う」
「おっさんの台詞だぜ、それ」
「あー、やっぱりそうか。最近腰が痛くなるんだよな」
 話がそれている、と冷静に突っ込む人間は自分の他にいなかった。舌打ちして、皆守も煙草を灰皿へ落とす。
「で、一体何者なんだ?」
「しがない下請け翻訳家」
「ああそうかよ」
 彼は、わざと情報を渡さないようにして皆守の反応を楽しんでいるようだった。しかし元来、気の長い方ではない。付き合いきれずに、その場を去ろうと片手をあげた。
「じゃあな」
「先を焦るなよ若人。人生に余裕は必要だぜ?」
 背を返し去ろうとする肩を掴まれる。その力は細身の見た目に比べて強すぎるほどで、純粋に驚きを隠せない。
「本当に、何なんだ、アンタ……」
 少し上の目線から完璧な微笑でにこりと笑って、男は皆守の目を真っ直ぐに見た。
「名前は緋勇龍麻。本業は《黄龍の器》だ」
 聞き慣れぬ単語に眉を顰めた。聞き返そうとするよりも早く緋勇、と名乗った男は先を続ける。
「平たく言えばこの世の命運を握ってる。宜しくな、《スリーパー》」
 さらりと言われた言葉の意味をも理解できぬうちに手を差し出され、咄嗟に握り返す。ひやりとした手の感触が離れ、そして、
「《鎮魂歌》より伝言だ。《宝探し屋》が、お前を待ってる」
 言われた言葉に、全てが吹き飛んだ。
作品名:insomnie 作家名:名村圭