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キミが知らない鼓動音

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ふうと溜息を吐いた。


思い出したのだ。あの日の放課後、彼に告げられた言葉を。
そしてその真意を誤って汲み取ってしまったとは気づかずに彼女は、いかにも我ここにあらずと言った調子でまだ随分と長いこと白い紙の上にシャーペンを走らせている。勿論大して意味の有ることを書き込んでなどいない。一昔前の所謂懐メロだとか言われる時代の黒髪の少女に似合いそうな純愛を謳った歌でそんなものは勿論イマドキとやらを謳歌している公子には全く似つかわしくないものだった。どんな朴念仁でも恋をすれば浮き足立つものだとはいうのだけれどいつも浮き足立っているごとくに噂されていた公子の場合もそれと大差なかった。まさかよりにもよってあの人のこと好きになっちゃうなんてなあ、だなんて口を開けば桃色吐息。また思い出した次のフレーズをもう残り三行とない雑記帳に記そうと公子が意気込んだまさにその瞬間、彼女以外誰もいなかった教室の扉が開いた。


「有里くん、キミはまだいるか?」


急停止したシャーペンの芯がぽきんと音を立てて折れる。慌てて机の上に上体を擲ってその丸文字だらけの雑記帳と白いばかりの解答用紙を全身で覆い隠す。成績が悪いと彼にばれてしまったら恥ずかしい、そんな些細なことさえも過大に捉えがちな年頃だからか、彼女は苦笑いしてうつ伏せになる。木の肌に微笑みながら眉を顰めて頬ずりする彼女は異様だろう、小田桐はぱちくりとその細い目を見開いていた。扉を開いて外から内を覗き込むような格好で待っている彼がどこにその視線を注げばいいのか困惑したままにぼんやりと立ち尽くしていることにも触れられず彼女はひたすらに顔を赤らめて小さな声で君付けにした彼の苗字を呟いたのだった。


「何だ。その、…不審だな」


腕組みをしたままゆっくりとこちらに歩いてくる足音がする、意識する度公子の胸の高鳴りもその速度を増していく。たまらないと思った。こう馬鹿らしい真似をしているように思われるような行為だってそう彼に思われてしまえば公子にとっては痴態も同然で、だのに今がソレだからなんて良い解法も無いのに頭の中で煮え滾る感情を無闇矢鱈に掻き乱す。


僕が君に相応しい男になるまで。


彼に提示されたその恋人の必要条件がいかに公子にとって不都合なのか、そんな彼女の事情はこの惑わしたがりな少年どころか空に橙の影を引き擦りながら暮れ行くお天道様も知らないわけで、だからこそ彼女は一人その悩ましい物思いに心の底を焦がすのである。そんな小田桐の主観的な決定も彼女にはいつのことやら皆目見当がつかず、いっそ今ここで彼の胸にこの顔を埋められたらいいのにと若い妄想に溺れながら消しカスも転がる机の肌にその柔い頬を伸し付けるばかり。



「どこか身体の調子でも良くないのか?」
「…うん、苦しい」




キミが知らない鼓動音




(「あなたのせいでって言えたらいいのに」「平賀を呼んできてやろう」)
作品名:キミが知らない鼓動音 作家名:ちるちる