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バランスアンバランス

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時々、自分がどこにいるのかわからなくなる。

 夜、潜り込んだシーツの中でまどろみ始めた瞬間。朝、触れる素肌の冷たさに想いの在り処を探る刹那。
 日の光りを浴びる昼間だって、俺の足元は覚束無い。
『イタリアくん』
 澄ましたような笑顔で俺の名を呼ぶ彼の瞳は、同じくらいの優しさで兄の名も呼ぶ。
『イタリアくん』
 その度、俺の心臓は軋んだ音を立てて少しずつ、呼吸を止める。
「なんで、俺は一人じゃないんだろう」
 そう、俺は一人じゃない。少なくとも、彼にとっては。


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「ジェラート」
 馴染みのない言語で書かれた書類を前に眉間の皺を深くしていたら、唐突に声を掛けられた。見上げたそこにいたのは、イタリアである。それも、南の方。
 彼は私に向かって目にも涼やかなアイスクリームを突き出していた。
「下さるんですか?私に?」
 珍しいこともあるものだ、と私は首を傾げた。弟の方ならともかく、彼が自ら私に話しかけてくるなんてめずらしい。普段はどちらかというと避けられているのに。
「お前、見てるだけであちーんだよ。いいから食いやがれ」
 ああなるほど、と私は思った。彼は私がこの家に滞在しているのが気に入らないのだろう。会議が跳ねた後でもスーツを着込んだままの者など、確かに私しかいない。
「すみません」
 思わず謝りながら、私はジェラートを受け取った。いそいそと口に運んだ氷菓子は見た目以上に冷たく、気分をすっきりとさせてくれる。
 実は宿泊施設は別に用意されていたのだ。それを断ってここに滞在することにしたのは、私の我儘以外の何者でもない。
「お前」
 私の前に立ち尽くしたままの彼が、口を開く。
「なんで自分のベッドに寝ないんだ」
 問われたのは、思いもかけないことだった。というか、彼が気付いていたことに私は驚く。
「ああ、あれは」
 なんと言えば良いのだろう。下手に言い訳すると、おかしな方へ取られてしまいかねない。
「・・・・・・弟さんが、私の体温が低くて気持ちいいとおっしゃるので」
「体温?」
「ええ」
 要は、抱き枕のようなものだ。だけど、それをうまく言い表す言葉が私には見つからない。
「あの、昔からなんです。エアコンは乾燥するからと言って・・・・・・」
「あいつと寝てるのかよ」
「――――ええ、まあ、・・・・・・はい」
 間違ってはいない。なんだか語弊があるような気がするけれど。
 しかし、私が曖昧に返事をした途端、彼の眼差しはぐっと鋭くなった。何かまずいことを言ったのだろうか。
「あの、ロマーノくん?」
 彼は声をかけてきた時と同じくらいの唐突さで、くるりと踵を返した。そのままこちらを振り返ることは一切なく、すたすたと扉の向こうに消える。
「――――お礼、言い忘れた」
 残されたのは、溶けかけた手の中のジェラートだけ。
 誤解、させてしまったかもしれない。
 半ば液体と化したそれを見ながら、私はそっと息を吐いた。
 吐いた呼気の分だけ空気が重く感じられるのは、なぜだろう。


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 汗をかいていた。
 その白いうなじに、触れるタイミングをずっと計っていた。
「すみません」
 事ある毎にあいつは謝る。それは俺に対する謝罪なのか、それとも弟に対するものなのか。俺にはさっぱりわからない。
 だから、俺は伸ばしかけた指を慌てて引っ込める。今日も、明日も。
 自分で閉じた扉に背中を預けて、俺は深く深呼吸した。何が気に食わない。あいつの瞳は、いつだって優しいじゃないか。これ以上、俺は一体何を望んでいる。
「兄ちゃん」
 声をかけられて、目を上げる。
「日本、中にいるんでしょ?」
 俺と同じ顔、同じ声。なのに見る者を和ませる朗らかな微笑みは、明らかに俺とは違う。
「・・・・・知らねえよ」
 吐き捨てるように言って、俺はその場をあとにした。背後で弟が扉を開く気配がしたが、俺には関係の無いことだ。
「調子いいことしやがって」
 呟いた言葉の矛先が、あいつなのか、弟なのか、はたまた自分自身なのかはわからなかった。でも、どうでもいい。
 少なくとも、俺は俺の弟の大事なものを横取りしようとは思わない。今のところは、まだ。