反逆する者される者
常ならば静寂に包まれている廃墟は、今やけたたましい銃声と怒号が支配する殺伐とした空間となっていた。
古くは存在したという牧師の装いを連想させる黒い服を身に纏った男――ルートヴィッヒは、そのような周囲の状況を気にした風もなく、乱れのない足取りで建物の中へと進んでいく。既にこのエリアは制圧済みのようで、"反逆者"の姿は見えない。この建物に潜んでいる者たちは、感情を持つという"大罪"を犯した者たちであり、そしてルートヴィッヒの――"クラリック"と呼ばれる者たちの任務は、感情違反を犯した"反逆者"の殲滅および法に違反する物品を取り締まる事であった。おそらくルートヴィッヒが進んでいく先には双方が待ち受けているだろう。鋼のように冷え切った思考回路でそう断じながら、古い建物ゆえに劣化が進んでいる階段を上っていくと、そこには先行していた警察隊の姿があった。足音が聞こえたのだろう、彼らは一斉に振り向き、ルートヴィッヒの姿を認めると同時に素早く敬礼する。
「クラリック。大部分は処刑致しましたが、まだ中に12名ほど居ます」
「突入後、電球を撃て」
「はっ!」
ルートヴィッヒの端的な命令に対し、警察隊の隊長らしき男は疑問を挟む事なく頷いた。相手がオーダーを理解した事を確認してから、ルートヴィッヒは隣りへと視線を向けた。先程までは誰の姿もなかった場所に、ルートヴィッヒと同じ服装をした銀髪・赤目の男――ギルベルトが立っている。他エリアにおける"反逆者"の殲滅を担当していたはずだが、此処に居るということは既に終えたのだろう。彼のガン=カタ(クラリック達が使う武術の総称)の腕前は、第1級クラリックに分類されるルートヴィッヒと同等、あるいは凌駕さえしているかもしれないのだから、どれだけ素早く片付けようと驚くことではない。
「オスト、俺が単独で突入する。お前は有事の際にバックアップを」
「解った。無理はするな」
ギルベルトの真っ直ぐに向けられた瞳と言葉に、ルートヴィッヒはどこか妙な違和感を覚えた。この男はルートヴィッヒの実の兄であり、仕事上の相棒でもあるのだが、ここ最近、彼の言葉や瞳から度々こうした違和感を抱く。理由は解らない。単純に気のせいか、あるいは存在しないはずの感情の残滓なのかもしれない。どちらにせよその違和感が不快なものではないこともあり、ルートヴィッヒはその正体に全く興味を抱いていなかった。直観的な感覚としては受け取らざるをえないが、そのまま思考材料にもせずに廃棄するだけである。
今回も1秒にも満たないこの思考をすぐさま脳内から捨て去り、ただ任務の事だけを残して無言で扉の前に立つ。瞳を閉じ、袖に隠し持っていた銃を握り締めると、感覚が研ぎ澄まされていくことが解った。
「行くぞ」
ぽつりと呟きを落とした次の瞬間、ルートヴィッヒは扉を蹴り破り部屋へと侵入した。背後からすかさず警官隊が電球を狙い撃ち、周囲が一気に暗闇に包まれる。内部にいた"反逆者"ががむしゃらに銃弾を放ち、その発砲により小さな火花が方々に散る。剥き出しの感情と共に何十発と発射されたはずの銃弾は、一発もルートヴィッヒの体に掠る事すらできなかった。クラリックが会得しているガン=カタは、統計的に命中率が低い所を瞬時に判断、移動し、射線を避け、逆にこちらの銃弾を効率よく打ち込むための体術である。もはや体になじんだそれは、ルートヴィッヒが考える前に自然と射線を避けさせ、敵の方向へと銃口を向けさせる。この時もルートヴィッヒは、銃弾すべてを避けきった後、瞬時に、そして正確に両側に潜む敵の方へ愛用の2丁拳銃を向け、なんの感慨も抱く間もなくトリガーを引いた。
数十秒後には、部屋の中は"反逆者"の屍が並び、生ある者はルートヴィッヒのみとなっていた。周囲を見渡し、敵影が居ない事を確認すると、ルートヴィッヒは手にぶら下げていた2本の拳銃をしまいこんだ。
「処刑終了。これよりEC-10の捜査および押収作業に移る」
振り向きもせず、部屋の外に居る警官隊へ告げる。途端に警官隊は室内へと入り込みう、部屋の中の捜査を始める。
「お疲れ。相変わらずのテクニックだな」
「この程度で疲れたりはしない」
部屋の中を見渡し、ギルベルトが言う。ルートヴィッヒは淡々と応え、それから不意に床の一点をじっと見詰め始めた。ルートヴィッヒが動く前に、ギルベルトがそちらのほうへと歩み寄る。クラリックの正装である黒の革靴で無造作に床を踏み鳴らしてみると、中に空洞があるような乾いた音が鳴った。
「……ここだ。こじ開けろ」
ギルベルトが警官隊に命じる。すぐさま床は取り払われ、その下から出てきたものはEC-10と分類される物――絵画や小説等の芸術品であった。
「間違いない、全てEC-10だ」
「どうする?」
ルートヴィッヒが鑑定用スコープを片手に断言すると、ギルベルトが小さく尋ねた。質問の意図が受け取れず、ルートヴィッヒは眉を顰める。暫くギルベルトの顔を怪訝そうに眺め、それから当然のことのように言い放った。
「焼却だ。当たり前だろう」
「……そうだな」
表情なく頷いたギルベルトを見やりながら、警官隊の中に居る焼却用の隊員を呼び、床下に放られたままのそれらに炎を浴びせる。燃えて灰になっていくそれらを一瞥した後、ルートヴィッヒは踵を返した。ギルベルトも後に続く。彼らクラリックの任務は終了した。となれば、あとは帰還するのみである。
廃墟の前につけておいた黒塗りの車に乗り込む。助手席にギルベルトが座った事を確認すると、エンジンキーを回した。低く唸るような音を鳴らして、エンジンが動き出す。ギアをDに入れて出発しようとしたその時、ルートヴィッヒはギルベルトの制服のポケットから何かがはみ出している事に気付いた。
「オスト」
「なんだ」
「それはどうした」
「これか?」
ルートヴィッヒはそのはみ出したものを指差し、尋ねた。問いに促されてギルベルトがポケットから取り出したものは、一冊の詩集であった。先程押収し焼却したEC-10の区分に該当するものである。
「焼却漏れしていたんだ。俺が責任をもって省庁へ提出しておく」
「……そうか。頼んだぞ」
再びあの違和感を覚えながらも、ルートヴィッヒは頷き、視線を前面へ戻した。そしてギルベルトから向けられている複雑な色合いをのせた視線に気付く事のないまま、ただ真正面のみを見据えて、自らが守るべき都市へと戻るためにアクセルを踏みこんだ。