全ては彼の望むままに
そこにあるのは静寂だった。夏の終わりの夜風は優しくない冷たさで、時に切り刻んでいく。まるであいつの刃のように。。潮の匂いで肺が満たされていくのを感じながら、海の前にいる。意味など何もなかった。誰も彼もが行動に意味をもたせようとする。或いは意味をもった行動しかできないのかもしれない。けれど俺にはそういったことはなく、理由の追求こそ、俺のもっとも苦手とするものでもあった。
「俺はお前で満たされたいんだよ」
言葉を選ぶ余裕などなかったのに、それでも、あれだけ的確な言葉を選べたのには自分のことながら感心してしまう。そこに男性的な征服の希求はなく、自分の形を変えられてしまうことをこそ、つよく望んでいたのだ。だのにそれを聞いた真田は、顔を赤くして俯いてしまって、それから怒ったような大きな声で「ふざけるな」と言ったきり口を開かなかった。あの男はこちらの思いの、言葉の、真実を全く知らない。知らないから、（そして知らないくせに、）本来なら誰もがとうに壊してしまったその武器をもってこちらを傷つける。血は外側を流れずに肌の中に醜い痣を作り、俺はここまで醜くなってしまった。それなのに何故、俺はまた傷つけられようとするのだろう。
「来てくれたんだ」
真田は息を切らしていた。門限の厳しいあの家に育った、規律を破ろうともしない男が、こうして目の前にいることに驚きを感じないのは多分、当然だ、と心の奥底で思っていたからだ。俺は真田を過信しているし真田も俺を過信している。しすぎている。
「お前が呼び出したんだろう」
「無理だと思っていたんだ」
「思ってもいないことを口にするな」
真田は、真田のくせにたまに鋭いことを言う、と以前蓮二に零したことがある。蓮二は「あいつは、切れない時と切れすぎる時とで差が激しいからな」と返した後に一言、「いつかもっと、痛い目を見ることになるぞ」と言ったのだった。友人のありがたい忠告が、未来を的確に予測していることは分かっていたが、俺は無視した。無視してまでも、思い通りにしたかった。愚かだと自分でも思う。
「分かるんだ？」
お前のことなら全て分かる。そう返して欲しい。そしてそれを実現させてほしい。それほどまでに望んでいる。けれど真田は欲しい言葉に限ってくれない。いつだってそうだった。どんなにねだっても乞うても、それは徒労に終わるだけなのだ。
「用がないなら帰らせてもらうぞ」
また、位相がずれる。けれどそれでも、俺にはやはりこの方法しか分からなかった。
「用なんてないさ」
「そうか」
「でもお前は帰らないよ」
確信はあった。ただそれは確信、とはまた違うかもしれないとも感じていた。お互いにお互いのことを信頼しすぎて踏み込みすぎて、あとは崖から転がり落ちるだけなのに、誰にも止められない。当事者達はとうに、ブレーキを壊してしまっているのだ。
「お前は俺が良いって言うまで帰らないんだ」
そうだろう？ 確認のように瞳を覗き込むと、いつもより過剰にまばたきをするその目が、俺を対象とするのをはっきりと感じた。
作品名：全ては彼の望むままに 作家名：青＠ついったー