二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

一時的一方的和平条約

INDEX|1ページ/1ページ|

 
何かに蹴躓いたのかもしれないけれど、よくは覚えていない。
 ほら、大怪我をしたりしたときにその周辺の記憶が飛んだりするではないか。
 多分そんな具合で、あのとき何が起きたかさっぱり分からなくなってしまったのだ。
 多分、バナナの皮なんてものはなかったと思うのだけれど。

 それはともかく躓いたか何かして、彼の凶器、つまるところ平和島静雄の黄金の右手がクリーンヒットしかけたのだ。
 暴力一色に染まった瞳を見るには近すぎる距離に、悲鳴を飲み込めたかすら分からない。
 ただ、ひたすら脳内にエマージェンシーが鳴り響き、あらゆる器官が声高に叫んだ。

 死にたくない! と。

 このままでは死ぬぞ、と震える両手を突っ張らせ、どうにか拳の軌道から頭を逃がした。
 代わりに右肩が犠牲になって、体が斜めった。
 そのまま抵抗せず体を反転させて、前のめりのままの体勢で一目散に駆け出した。
 怒声が背後から聞こえてくるが、勢いを殺すことはない。

 逃げに逃げて、やっと一息吐いたのはやっとこさ自室に辿り着いてからのことだった。
 冗談抜きで死ぬかと思った。
 随分困惑の交じった吐息を押し出してから、どうしたどうしたと自問する。
 死にかけたことなんて、短い人生ながら結構あったではないか。
 その大半が脅しであったのは幸運だったが、どうもプロらしくない者からの暴行はかなりくる。
 なにせ彼らはどこを殴れば人が死ぬか知らないのだから手に負えない。

 けれど不思議と、死にそうだとは思っても死にたくないと思ったことはなかった。
 死ぬのは恐ろしかったが、脅されるのも殴られるのも自らが招いた結果だった。
 つまるところ、自らの力不足であって保身が間に合わなかったということ。
 そのペナルティーなのだから、ある意味致しかたがない。
 その上どいつもこいつも目一杯痛め付けてくるものだから、痛いとか死ぬとか短絡的な感情しか起こってこない。
 それに余裕があるのなら、もっと有意義な思考の使い方があるはずだ。

 今回の状況を鑑みてみると、いつもと違うのはまず苦痛がなかったこと。
 しかし、それは答えにはならない。
 当然ながら、痛い目にあいたくはないので、あわやという具合で逃げ出すこともある。
 その際、あれ程に恐れをなしたかといえば、答えは否だ。
 断じてそんなことはなかった。

 ならば、外的要因が関わってくるのだろう。
 とりあえず、そこらのゴロツキと静雄との比較をしてみる。
 どちらもまともな人生を歩んでは来なかったろうし、これからもそうのはずだ。
 そこは一緒。

「ああ、そうか。ふうん、そういうことか」

 思わず一人ごちる。
 彼らと静雄のどこが違うといえば、答えは簡単なことだった。




 珍しく、仕事の業務連絡の合間にセルティがPDAに雑談を書き込んだ。
 静雄と何かあったのか? と液晶には短い疑問文が映し出されている。

「へえ、シズちゃん何か言ってた?」

 言うも何も、凄く慌ててやってきて、新羅にお前の脳波に異常がないか調べてくれと。
 恐らく、あるはずのない眉を潜めて彼女は綴る。
 心当たりはあるが、いきなり脳検査はないだろう。
 シズちゃんのこん畜生。

「ただちょっと、池袋に行く前にシズちゃんに連絡して、当日会って天気の話をしただけだよ。あの日は夜から雨の予報だったのに、傘持ってなかったみたいだったからね」

 そうして、予報通りあの日は夜からしこたま雨が降った。
 風も結構強かったので、傘があってもかなり濡れてしまいそうだったが、まあないよりかはましだったろう。
 よくよく考えてみれば、顔を合わせたのに何も投げない彼など天然記念物ものかもしれない。

 何を食ったんだ、と返されて、軽く笑ってみる。
 食らいかかったんだよ、と答えると、セルティがヘルメットを僅かに傾けた。

「シズちゃんには殺されたくないなってこと」

 彼らと静雄との差は明確なものだった。
 臨也を脅したものは暴力を仕事にする者達か、組織内でそんな役しか与えられない者達だ。
 ちんけな奴らなのだ。
 何の未来もないし、何の可能性もない。
 底辺で屑みたいな仕事をして、ある日屑みたいに死んでいくだけ。
 それだけの、本当に詰まらない生き物なのだ。

 何の可能性もない者を前にして死んでいくのは、自分にとってさほど辛いことではないのかもしれない。
 暴力に晒されているときは自分と相手しかない。
 それ以外の、例えば世界なんてものは認識の範疇から消え去ってしまう。
 そこにある可能性なんてものは認識できないのだから、ないのと同じなのだ。
 認識の中に何一つ臨也の好奇心を擽るものがなければ、惜しいなどとどうして思えようか。

 対して、静雄はある意味可能性の塊なのだ。
 彼にとって暴力は仕事ではなく、呼吸のようなものなのだ。
 人というものは活動の強度を強めれば、自然より多くの酸素を必要とする。
 大量の空気を肺に溜め込むように、あの人間はどこまでその手に力を帯びることができるのか。
 臨也はそれが気になって堪らない。
 その彼は望まないかもしれないその輝きを前に死ぬことなど、どうしてできようか。
 もったいない。

 今更何を、と呆れる彼女にひらひら手を振ってやはり笑う。

「まあでも、このままじゃあ面白くないし、ちゃんと対策を練らないとなあ」

 平和的な接触を計ったところで、彼の可能性を現実に変えることはできまい。
 それでは何の意味もないのだ。

 口のないはずのセルティの溜め息が聞こえたような気がしたが、臨也はその音を聞き流した。
作品名:一時的一方的和平条約 作家名:シノハラ