ここだけの話
「甘楽さんのこと好きだったんですよね」
かしゃん。帰宅した帝人が臨也の片足に嵌めた足枷を外しながら言う。仕事は基本的に家でしており日用品等の買出しもネット上で済ませている帝人であるが、それでも彼の手中にある組織の関係上全く外出しないというわけにもいかない。そういう場合に臨也につけられる枷。家の中は自由に動ける程度の鎖がついたそれは、いいかげん肌に馴染んだ。
「それで?」
「なんか思い出して。臨也さん、パソコン使ったでしょう?」
「暇だから中のファイル適当に見てただけだよ。どうせネットも繋がってないしね」
「解ってますよ」
ネットどころか玄関に近づくことすら叶わない。代わり映えのない世界。観察できる人間など帝人だけ。朝も昼も夜も意識がある限り視界を思考を埋め尽くすのはただ一人。彼は外の事項を中に持ち込むことはしない自分との関係を変えようともしない。たった一つの変化すらない生活。心が死にそうだ。
「ねえ、夕飯まだ?」
寝て食べて彼の相手をするだけの日々。笑える程に馬鹿馬鹿しい程に呆れる程に意味のない時間を積み重ねて積み重ねた結果が今。死ねばいいのに。どちらに向けたものかは自分でも解らないがそう思う。
「すぐ用意します。ああそうだ」
この、人体への影響と言う点にのみに限って言えば快適な牢獄に臨也を閉じ込めている張本人の帝人は、いついかなるときでも甲斐甲斐しく礼儀正しく丁寧に臨也の望みを叶える。自分以外の人間とは関わらせないだけでそれ以外はまるで奴隷か執事か、でなければ配偶者のようだ。それでも、優しげに細められた目の奥はいつもどこか冷えている。憧れや好奇心や信頼で柔らかく輝いていたあの瞳はもう失った。
「甘楽さんみたいに話してください」
「……君も中々いい趣味になってきたねえ」
「だって好きだったんです。僕の知らない世界で生きてる甘楽さんが」
ああ、馬鹿がいるなとしか思えない。『臨也』を自由にさせておけば『甘楽』だって今も彼の知らない世界で自由に生きていただろう。臨也から甘楽としての役割も演じるための手段も目的も全て全て根こそぎ奪ったのは目の前の男、そう、男だ。もう出会った頃の少年ではない。あの頃の少年に気まぐれに教えてやったこと、情報屋としての体験談、社会の裏側で生きるための知識、自身の身を守る方法、そんな様々な事柄を理解して吸収してそうして成長した彼がやったことと言えば、折原臨也の拘束だ。軟禁だ。あるいは情報屋としての折原臨也の抹殺。
その涙ぐましい努力の行き着いた果てがここ。変化など起きようのない閉鎖された二人だけの空間。そんな場所から一歩だって動けずいる今の臨也は、帝人の把握している世界でしか生きていない。帝人が知っている世界でのみ生きることを臨也に強制しているのは彼自身であるにも関わらず、僕の知らない世界で生きる甘楽が好き、とは。解っていたことだが、我侭で、そして馬鹿な男だ。
変化を求める性質はお互い様だというのに、何一つ変わらない地獄のようなこの場所に繋いで繋がれてもうどれくらい経ったろう。よくもまあ互いに発狂なり殺害なりに発展しないものだ。臨也のほうは、そろそろ精神が死にそうだなと、自分でも思わないでもない。何しろ彼の愛する愛する愛する人間たちの営みがこの目で見ることすらできないのだから。
「甘楽さん」
「………………」
「甘楽さん」
「………………」
「甘楽さん」
「……太郎さんは本当にしょうがない人ですねー」
なんだかもうどうでもよくなってひどく投げやりな調子で答えてやると、やはり冷めた目のまま帝人が臨也を見た。
この地獄の底ではいつだって、幼い顔の鬼が笑っている。