おにとひと(弐)
人の一生が短いのは自らが身を以て知っていたはずだった。
「弦」
「その呼び方をするなと言っているだろう。」
縁側に腰をおろして掌をひらひらさせて俺に横にすわれと言う仕草は偉そうだが品がある、俺はため息をつきながらも男の横に座るとごろんと膝の上に頭をのせられた。
「おい」
「少しだけだ、少しだけ」
細い目が気持ち良さそうにしているから見ている俺の方まで眠くなってくる。
この時間俺の家は日陰になって居心地がいいと夏になると毎日のようにやってくるこいつはまるでつかみ所の無い男で何百年と生きる俺へ無礼極まりない態度をとる人間だった。しかしどこか品があり美しい男で俺はその男に惚れていた。
「もう、明日からこれそうもないからな。」
「何?」
目を瞑ったまま男は息を吐くのと同時に言った。
「俺は明日結婚する」
いきなりの事に俺は目眩がした、そんな話した事はなかったがそんなにいきなり決まる事なのか、俺は動揺を隠しながら「そうか」とだけ言うと「なんだ、それだけか。」と残念そうに言うその顔の上に掌をのせて「五月蝿い」と小さい声でいった。
元々一緒になれるとは思ってはいなかった、がしかし。こうもあっさりとその時間を奪われてしまった事に不覚にも悲しみを隠しきれなかった。
男は俺の顔に手をのばして鼻や頬に指を這わせた。
「これでおしまいだ、お前と話すのも」
「何度も言わんでいい、清生するわ」
「本当に?」
男はへらっと笑ってみせると身をおこして俺をぎゅっと抱きしめた。「俺は寂しい」と耳元で囁いたそいつを俺は抱きしめ返す事も出来ずに硬直した。
そんなに寂しいなら結婚などするな、俺の所にいればいい、お前が死ぬまで俺が側にいる、ずっと愛していた。全て言いたい言葉は喉を詰まらせて出てこなかった。最後に力強く抱きしめると男は「じゃあ」といって家を出ていってしまった。
風の噂で男は無事結婚をして子供を持ち幸せそうに暮らしていると聞いた。
あれが幸せでいるなら良い事だ、俺は黙って縁側に腰を下ろし男がいた日々を思い出す。
何十年もたって、今度は男が死んだと言うのを聞いた、人間の命は短い、しかし死に目にも葬式にも行けないこの身の上が酷く憎い。
「誰だ」
何十年と俺以外の誰もいなかった家の廊下がきしんで音をたてているのに気がつく。犬や猫でも入ってきたかと様子を見ると影がひとつ見える。
誰だと聞くと大げさに影が揺れて「迷った」と高い声がした。
大きさから察するに子供だろう、こんな村外れで迷うはずもない、自分から村を出てこなければこんなうすきみの悪い家に入らないだろう。見え見えの嘘をつきおってとため息を吐くと子供は俺を見て目をまんまるにした。髪の毛は方までのびて女子だろうか、月明かりで照らされた髪は少し緑色をしている。
「お前のようなおなごが、こんな所へきて母上に怒られるぞ」
「お、鬼が本当にいるなんて…信じられない。それに!!!俺は男だ!!!」
まったくきんきんと五月蝿い餓鬼は人間で女に間違えられた事にたいそう腹をたてている様子だった。
「お前早く帰れ、餓鬼の面倒はみられん」
ひらひらと手をふって追い出そうとするも名前は蓮二だのどうやらこの家に鬼が住んでいると噂を聞きつけて確かめに入ってきたらしい。
このまま逃げ帰ったのでは仲間に言い訳できないと思ったのだろう、だまってもじもじする蓮二に俺は右の角の先を折ってくれてやる。
「何をびっくりしているのだ、さっさとソレをもって帰れ、俺がいたと証明できるだろう?」
「あ、ありがとう。」
蓮二は小さな両手に俺の角を抱えて何度か俺を振り返って名前を聞いた。「弦一郎だ」と名乗るとにこりと笑い頭を下げて帰っていった。
久しぶりに名前など口にした、あの男が俺を呼ぶ以来聞いていなかった。
END
2010.06.13