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解答無しの感情論

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うだるような暑さだった。

額を流れる汗が、不快でしかない。
眉を潜めた静雄は、ふと隣でしゃがみ込んでいる男が涼しい顔をしている事に気が付いた。



「…テメェ、暑くねぇのか」

「んー。ああ、シズちゃん居たの」

人の逆鱗に触れる言葉を選ぶのに、これ程長けた人間が他に居るだろうか?
自問自答しながら、彼は緩く首を振った。今更だ。そんな人間が、存在するハズがない。

熱心に操作していた携帯電話から目を離した臨也は、壁に寄りかかっている静雄の汗と、顰められた眉を見ながら「暑そうだね」と、全く持って感情の含まれていない声で呟いた。同じ気温の場所に居ると言うのに、シャツのボタンを二つ程外した静雄と、かたや着込んだ夏用コートを脱ごうとすらしていない臨也。二人が感じている体感温度には、大分差がある事は明白だった。

そもそも、真夏日と称される昼下がりに、何故二人は空調の無い空間に居座り続けなければならないか。
それはもはや、意地とプライドが半々の、くだらない理由であった。










「げっ…。やぁ、シズちゃん。さっきぶり」

エレベーターを降りた静雄は、心底嫌そうな声を聞いて携帯から顔を上げた。
そこには、先程静雄が投げた消火器をまともに喰らった臨也が、そのダメージを全く見せない完璧な笑顔で立っていた。静雄の頭を一瞬真っ赤な怒りが支配する…けれど、先程手傷を負わせた臨也が弱っているのは明白で。気丈に振舞う、隙のない笑顔を見ただけで、気分が萎えてしまう。

「テメェなんてどうでもいいんだよ。新羅は?」

「んー。留守みたい。俺も、誰かさんから頂いた傷を診てもらおうと思ったんだけどさぁ」

「別にいいじゃねぇか。そこら辺で蹲って死んでろ」

友好の欠片もない静雄の言葉だったが、さらなる追撃は無いと悟った臨也が少しだけ身を支配していた緊張を緩めるのが伝わってくる。それは明白な気配ではなく、零れた小さな吐息だったけれど、静雄にとっては十分な判断材料だ。

「あははは。随分だね。死ねよ、化け物」

「ああ?テメェが死ね」

武器になりそうなものを探し、見つからなかった静雄は壁を装飾しているレンガへと手を掛けた。
モダンな壁も、静雄の手にかかれば簡単に凶器に変わる。誰よりもそれを知っている臨也は、まった!と慌てて声を荒げた。

「シズちゃん!此処はセルティの家でもあるんだよ?新羅はともかく、愛着を持った家を破壊されたら彼女、悲しむんじゃないかな?」

「……………………」

「俺も、怪我の治療したら新宿帰るし。まぁ、あんま油売ってる時間もないんだよね」

「…………ちっ」

舌打ちと共に静雄が煙草に火を灯す。そのままドアに凭れる形で臨也から目を離す。
休戦の合図に、臨也はずるずるとその身を蹲る形に変えた。傷をかばっている事は明白だ。しかし、そんな気配を全く持って完璧に隠しきる男に、静雄はひっそりと息を吐き出した。



「………帰んないの?」

「…給料出たら、診察料払うって約束してんだよ」

「俺が払っといてあげるから、帰りなよ」

「テメェに借り作るなんて死んでもゴメンだ」



30分の間に、二人の間で成立した会話は、これだけだった。
仮にこの状況に向きあったのが一人であったならば、出直そうと冷静に考える事が出来ただろう。けれど、宿敵と呼んでも差し支えのない男が引かないのに、己を曲げるのは許せない。二人はそれぞれ、そう思っていた。

かくして、くだらない意地の張り合いで二人は時間を無駄に潰す事になったのだ。








「…テメェ、暑くねぇのか」

沈黙に終止符を打った静雄が、好奇心のままに尋ねる。

「んー。ああ、シズちゃん居たの」

面倒そうに顔を上げた臨也は、静雄をからかうような口調とは裏腹に随分と余裕のない顔をしていた。
もしも、その余裕の無さを先程同様、完璧に隠す事が出来ていたらならば、静雄は易々と理性を殺し拳を振っていた事だろう。

青白い顔に「暑そうだね」などと言われても、微かに震える指先に気付いた静雄は、何も言い返す気にはならなかった。無言のまましゃがみ込んで、指先を手に取った。カタカタと以前震え続けるそれは、ぞっとするくらい熱い。

「…しず、ちゃ…?」

「黙ってろ」

きょとん、と静雄を見上げてきた臨也の顔は純粋に疑問だけを表していた。
舌打ちと共に、簡単に持ちあがる軽い身体を抱き上げた静雄は空いている足で錠のかかったドアを蹴り破った。

まるでダンボールのようにあっけなく吹き飛んだドアに、臨也が何かを言うより早く静雄が室内に足を進める。抱きあげられたままの臨也は、ただただナナメ上に見える不機嫌と怒りの中間のような顔を見上げていた。

その怒りが、自分に向いていないなんて珍しい。
視界が歪み始めていた臨也にとって、それだけが疑問であった。

「―――シズちゃ…

ずかずかと静雄は診察室となっている部屋まで臨也を運ぶ。
そして、やはり無言のまま臨也の身体をベッドに置くと、懐から携帯電話を取り出した。


「あー…。新羅?今どこに居るんだ?……ああ、なら丁度いいな。診察室にケガ人置いとくから診てやってくれ。あと、約束してた俺の分の請求、あれドアとか色々足してまた出しといてくれ。…あ?見ればわかるよ。多分想像通りだから安心しろ」

電話の向こうから「全く持って安心できないね!ああ、僕とセルティの愛の城が!!」という泣き笑いのような声を聞きながら、臨也の意識は薄れていった。冷たいリネンが、心地良い。



意識を手放した臨也の顔を、静雄はゆっくりと覗き込んだ。
微かに聞こえる呼吸音を確認し、胸を撫でおろす。多分、これは怪我だけじゃなくて風邪も引いている。

「……バカじゃねぇの」

呟いた言葉は、死んだように眠る男に向けてか、
それとも柄にもなく心配などしてしまった自分に向けてか、

踵を返した静雄が、納得できる答えを見付ける事は終ぞなかった。












解答無しの感情論/end
作品名:解答無しの感情論 作家名:サキ