【APH】苦いショコラの口溶けは、【フラギル】
奴にとって「恋人」という言葉は、軽い。それは小鳥のさえずりのようにあちこちでバラまかれ、けれど決して愛の囁きにとって変わる事はない。
少しでもデートをすれば、一夜を共にすれば、それは奴にとって恋人になる。誰にでも愛を振りまくし、誰からの愛も気軽に受け取る。
そこに本気の愛があったとしても、おそらく奴はMerci. と落としものでも拾ってもらったかのように軽い言葉を返すだけで、想えば想うほどその想いは無駄になってしまうだけだ。
わかっている。わかっていて、諦める事の出来ない己のなんと滑稽な事か。
「あれ、もしかして美味しくなかった?」
「や、そんなことはねえよ。ちょっと考え事しちまっただけだ」
諦めきれないのは一度懐に入れた相手に対して奴が無条件に優しいせいだ、と思う。突然ふらりと現れて家に押し掛けたというのに、嫌な顔ひとつせず迎え入れ、料理を振る舞う。
少しでも内に入ってしまえば特別扱いをされる。それが平等な特別扱いだったとしても、嬉しく思ってしまうのは事実だ。
だからこそ、恋人にはなりたくない。奴にとっての恋人は、そこらの猫を愛でる感覚と同じなのだ。大勢の中のひとりにはなりたくない。友人以上になることで、触れることも触れられる事も、少しは特別な意味を持つのだとしても。
「そう? それならいいけど、どうせなら美味しく食べてよ、考え事しながら食べても美味しくないでしょ」
「あー、確かにな。作ってくれたお前にも失礼だし」
「そうそう、そう言う事。あ、そこついてる」
どこ、と問い返す暇もなく唇の端を拭われ、指についたソースをぺろりと舐められる。少し触れただけだというのにどうしようもなく早鐘を打ち始めるポンコツなど、止まってしまえばいい。
気付かれるのは嫌だ。気付いた瞬間、奴は躊躇いもなく友人から恋人へと立場を移行させるだろう。だとしたら、苦しくても友人でありたい。簡単に切れてしまうような恋人にはなりたくない。
「それくらい言えば自分で取る」
「んー、まあ、味見?」
「てめ、味見してねえのかよ」
「レシピ通りに作ってるんだから変な味になるわけないでしょ」
「料理人として味見くらいしとけ!」
「今したって。そろそろデザート持って来ようか?」
「……あの短時間で用意できたのかよ」
「冷凍保存してた奴があるからね」
ギルベルトには特別に、とウィンクをする男が憎らしい。軽い言葉のはずなのに、胸にはずしりずしりと重く降り積もって、頭から爪の先まで支配されてしまうのはいつのことか。
特別という言葉も、恋人という言葉も、そこに意味がないのなら使わなければ良いと思う。言われた側はただ期待をして、そして勝手に落ち込むのだから。
「はいどーぞ、お前の好きなフォンダンショコラ」
「お、Danke! お前マジで気が利くな!」
「そりゃお兄さんですから? ほら、冷めないうちに食べなって」
頷いてショコラを口に運べば、広がるのは甘さと苦さの入り交じった、己の心境とよく似た味だ。じわ、と心の奥に滲みて、ショコラを味わうフリをして目を閉じる。
「うんめー! やっぱお前天才だよな! これ食うためだけに毎日でも通いたいぜ!」
「そこまで喜ばれると作った甲斐があるねえ。またいつでもおいでよ、お前なら歓迎したげるからさ」
「おう! また俺様が来てやるぜ、感謝しろよな!」
甘いだけの言葉をスルー出来るなら、どれだけ楽になれただろう。
恋人以上になることはできないのだと知っているから、ただ己の心を噛み殺してギルベルトは笑った。
作品名:【APH】苦いショコラの口溶けは、【フラギル】 作家名:やよい