PM16:12
今日も通常通り俺はここで十代目を前に手帳を開いている。
「――それから、」
TRRRR…
執務室に高い機械音が響く。これは俺の携帯の着信じゃない(十代目の執務室に入る前にマナーモードに切り替えてある)から、十代目の携帯電話だろう。
十代目はスーツの懐から携帯電話を取り出して着信相手を確認する。すると一瞬、ほんの一瞬口元を緩ませて、俺の方を伺うと反対の手をかざした。
「どうぞ。」
「ごめん…」
歯切れ悪く俺に言葉を投げて十代目は電話を取る。
「――おはよう、ザンザス」
そう話し始めた十代目の声は、そのお顔は本当に優しいもので。十代目は俺や山本…守護者にも部下にもとてもお優しくて本当に素晴らしい方だ。だけど、この声も表情も、俺たちに向けられるものとはまるで違う。
「――え、ほんとに?そっか…うん、」
俺は定時報告がまだ残っているから部屋を後にすることも出来ず、その場で十代目へ向けていた視線だけを外した。
執務机の上には小さい置時計が一つ置いてある。その時計はボンゴレ本部のあるイタリア時間が刻まれてる。時計は主の方を向いているからこちらからは見ることはかなわないが、イタリアと日本の時差から考えて向こうはまだ午前中だろう。
「――こっちは大丈夫、うん。順調だよ」
十代目は九代目直属の暗殺部隊・通称ヴァリアーのボス・ザンザスと付き合っている。付き合っているが、勿論公表はしていない。ボンゴレ内部の人間で知らないのは末端くらいだとは思うが、さすがにファミリーのドンと直属の暗殺部隊のボスが付き合っているというのは外部に漏らすわけにはいかない重要機密だ。お互いがお互いの弱みになってしまい、双方にとってプラスになることは無くともマイナス要素にはかなりなる。二人が男同士だということも勿論重大な問題だ。(俺は十代目がお幸せならいいと思っているが)
「――じゃあ、うん。じゃあ、Ci sentiamo.」
終わったようだ。
「ごめんね、獄寺くん。」
「いえ、もうよろしいんですか?」
「うん大丈夫。続きをお願い」
―――――
今日も定時報告にドン・ボンゴレ執務室へ来ている。
しかし目の前の十代目は何やら心ここにあらずで、視線はかろうじて俺の方にきてはいるがこれは明らかに聞いていない。
「…あの、十代目」
十代目は俺の声音が変わったことに目敏く気付いたのかハッとする。
「ご、ごめん。大丈夫、聞いてるよ!」
「…差し出がましいようですが、体調でもお悪いのですか?」
「ううんっ、違うんだ!本当ごめん!」
なんだか納得できないまま俺は定時報告を済ませ、必死に大丈夫だと言う十代目に追い出される形で部屋を出る。
「……失礼します。」
俺はやっぱり納得できず、俺は廊下を歩きながら思考を巡らせた。
昨日は常通り特に変わったこともなく、十代目のお手を煩わせるようなことは無かった。お休みになられた時間は分からないが執務室を出たのは22時頃だったから遅くは無かっただろう。元々体調が優れないのだろうか…風邪か何かだろうか。そうだった場合この俺が十代目の体調を管理しきれていないことになるが、本当にそうなのだろうか。
頭をぐるぐる悩ませて歩いていると、前から嫌味なほどカツカツと靴音を響かせて歩いてくる男がいた。上等そうなブーツ。視線を上へ流すと、これまた嫌味なほどの長身に均整のとれた体躯。少し長めの真っ黒な髪の襟足には派手なエクステンション。
「――おまえっ、」
男はチラリとだけ視線を動かして俺を見たが、声を発することは無い。
何故日本に、この屋敷にこの男が。来日予定は聞いていない。
「ッおい、」
もう一度声を掛けた瞬間、ドン・ボンゴレ執務室の扉が勢いよく開かれた。そして何かが勢いよく俺の横を通り過ぎた。
「ッザンザス!」
それは勿論ほんのつい先刻まで一緒にいた十代目。勢いよくザンザスに飛びつくのを、彼は悠々と抱き止めた。
「久しぶり、来てくれて嬉しい」
思わず二人をじっと見つめていたが、ふいにザンザスの視線が此方に投げられた。その視線は早く立ち去れと言っているようでその端正な顔の口端がニヤッと歪む。
何かいけないものを目撃してしまったような感覚で、俺は静かに二人の横を足早にすり抜けた。