一刻の桃源
慣れないその動作に慌てふためく暇もなく、がしりと重い丸太のような腕に力が込められて自然と体が流されていた。
「ね~、どこ行くって言うのさ」
「良いから良いから」
数週間前の戦闘で瀕死になったところを助けてくれたこの男・・・シャーマンは上機嫌に、啓の知らない米国の鼻歌混じりに微笑みながら啓を誘導した。
左腕を掴まれていたのなら振り払えていたかもしれない。けれど腰に腕を回されて、ぴたりと密着した状態では逃げ出すことなど…そう考えたところで、本当に嫌なのであればこの状況でも回し蹴りなりなんなりして逃げ出すことができるのだと気がついた。いくら体格差があると言え、啓とて体術を心得ていないわけではない。けれどそれをしないのは、啓自身が意図せずところでこの男を許容しているということだろうか。
ベースキャンプから少し離れたところで、シャーマンは足を止めた。
「ここ、ケイに見せたくってさ!」
そこにあったのは、数週間前まで戦場であったと思わせぬほど美しい花畑。異国の、見たことのない花に溢れていた。
「・・・っ」
啓から声にならない声が漏れた。
腰にまわされていた腕が静かに解かれると、シャーマンは陽気な声を上げながら一人で花畑の中心まで駆けて行ったが、足がもつれて転んだ。
「ちょっ、」
啓は驚いて声をかけようとしたが、その途端に地面に叩きつけられたはずの大きな体はくるりと転がり、大の字で空を仰ぐとシャーマンは愉快そうに声を上げて笑った。その姿に啓はホッとし、ゆっくりと彼の傍らに歩み寄った。
「バカなんじゃないの~」
「あははは!こうしてると楽しいよ、ケイ!」
「やっぱバカだよ、キミ」
呆れ笑いを浮かべながら、シャーマンのすぐ隣に腰を降ろす。天を仰げば真っ青な空と純白の雲、地を見下ろせば色とりどりの花と瑞々しい緑。
砂ぼこりの多い戦地に居ることが多い啓にとって、まるでこの空間だけが桃源郷のように思えた。
「俺とココに来れて良かっただろ?」
青い瞳をキラキラとさせてシャーマンが問うてくる。
「あのね、その自信はどこから来るの」
けれど実際、この男と一緒だからこそ自分を縛る全てのものから解放されて「本当の自分」としてこの場に居て、心が安らいでいるのかもしれない。そうであるならこの男と来れたことが、自分にとって良かったのだろうか。
シャーマンは勢い良く上体を起こすと、しゃがんで啓と向き合った。その瞬間、ふわりと頭上からたくさんの花が降ってきた。シャーマンが降らせたのだ。
「やっぱ女の子には花が似合う!」
彼は無垢に啓へ微笑んだ。
「…女?」