柘榴色の悪夢
「あ」
「あ、おかえり。今日は『帰ってくる』の早かったね」
「イヴァン、それ」
良かった良かったと穏やかに笑うイヴァンの両手はあちこち皮膚が裂けていて、今も血がだらだらと流れている。どうしてそんな痛々しい事になってしまったのかは聞かなくても手の中の物が教えてくれた。彼の血で濡れたナイフが。
アルフレッドは反射的に刃の切っ先を自らの喉元へ持っていった。咄嗟にイヴァンが刃を掴んでいた動きを封じていなければ、アルフレッドの白いそこが掻き裂かれていただろう。だが、封じたために細く短い凶器は代わりに男の掌を容赦なく抉る。
「うっ、あ」
イヴァンの表情が激痛で歪んだ。アルフレッドは息を呑んでナイフの柄を離すと静かに男の名前を呼んだ。カラン、とそれが床に音を立てて落ちていく。イヴァンは前髪を額に浮かぶ脂汗で濡らして呆然とする青年を抱き締めた。
「君がたまに訳が分からなくなっておかしくなってナイフとか銃を向けてくるの迷惑だけどね」
「ああ」
「死のうとする事が一番堪えるんだよ。分かる?すごく心臓が速く動いてるの」
密着している部分からドクン、ドクンといつもより速いイヴァンの鼓動に、ざわめいた何かが落ち着きを取り戻す。アルフレッドはゆっくりとイヴァンの背中に腕を回した。
本当の意味でのストレスの発散の仕方が分からないために、感情が一気に爆発して周囲へ攻撃してしまう発作のようなものだった。我に返り、自分が仕出かした事に罪悪感を覚えて自ら命を絶とうとするのもセットとなって。
それらを抑える役割もイヴァンが多くなっていた。メリットなどどこにもない。むしろ、殺される確率が高いくらいで、近付かないでくれとアルフレッドは密かに思う。彼に死なれたら流石に狂っていない時でも死にたくなる。
「君は子供だから知らないだろうけど、こんな痛い思いをしてまで他人の自殺を止めようとするほど僕はいい人格の持ち主じゃない。君を止めるのは君にいなくなられると困るからなんだよ」
「そんなの俺だって」
「ねえ、いつ殺されるか分からないのに側にいて君を守りたいって思う気持ち、少しは分かってよ……」