カイトとマスターの日常小話
春色、ひらり。
茶碗を洗い終え、ふと、冷蔵庫のカレンダーを見て気付く。
今日は、3月27日…。
「…あ、」
ホワイトデー、終わってんじゃねぇか!バレンタインにカイトからチョコレートをもらったのでお返しをするつもりでいたのはいいが、急ぎの仕事が入り、計画を立てる暇もないうちに気がついたら過ぎていたことに、今、気がついた。…ケーキ、作ろうと思ってたのにな…。
「…催促してくれればいいのに」
一瞬、そう思うが、それが出来るような奴ではないのは俺が一番、よく解っていた。多分、カイトはホワイトデーが何なのかも知らなければ、バレンタインのお返しをもらえることすら知らないかもしれない。
「……どうするかね?」
このまま、スルーするのもありだと思うが、もらっといて返さないというのもどうかと思う。カイトには本当に色々、面倒かけてるしな。
「マスター、終わりましたよ」
空のかごを抱えたカイトが冷蔵庫の前、眉を寄せている俺に不思議そうな顔をして俺を見やる。
「カレンダー、どうかしました?」
「…いや。…今から、出掛けるか」
「お仕事ですか?いってらっしゃい」
「…いや、仕事じゃなくて、お前も一緒に」
「え、僕も?」
「お前も。早く、出掛ける準備して来い」
「はーい!わーい、マスターとお出かけだ!!」
どこのお子様だ。…溜息を吐きたくなるほど、お出かけに大喜びしてるカイトに俺は苦笑しつつ、自分の部屋にジャケットと車の鍵を取りに行く。カイトと外出するのは考えてみれば、初詣以来だ。
「マスター、早く!!」
「急かすな」
久しぶりに日の目を見た車に乗って、俺は郊外にある公園に向う。今が見頃のはずだ。
「わあ!」
車を降りて、カイトは薄いピンク色の空を見上げ声を漏らした。
「マスター、すごい、花がいっぱい咲いてますよ!」
頭上をアーチ上に張り巡らせた枝には落ちそううなほど小さな花が犇くように咲いている。
「…きれい」
呟いた蒼い双眸にそれは俺と同じように映っているのか。連れてきて良かったと思う。
「惚けて、逸れるなよ」
周りは俺たちと同じような花見客で賑わっている。木の下にはシートが張られ、どんちゃん騒ぎが始まっている。今は流れから今は少し外れているが迷子になられたら、この溢れかえった人波の中では探しようがない。
「…マスター、」
ジャケットの袖の端っこをカイトは控えめに掴んで、目の前、ひらりと落ちてきた花びらを目で追う。
「これは、なんていう名前の花ですか?」
「桜」
「…さくら…」
カイトは小さく呟いて、目を細めた。
「…歌によく出てくる名前はこれのことだったんだ…」
春になるとどこからともなく流れてくるのは桜の歌。この時期にこの言葉がない歌はあまりない。気がつけば聴いていて、もうそんな時期なのかと気付き、開花まで予想して、花が咲けばその下、集うのだから、どれだけこの花を自分たちは好きなのだろうと思う。
「ちょっと、歩くか」
「はい」
カイトは桜の花に気を取られているらしく、足取りが覚束ない。流れていく人並みに飲まれないように気を使ってやりながら、どこかゆっくり見られる場所はないかと探す。だが、その場所は大抵、人で溢れ返っていた。
「…ひともいっぱいですね」
「だな。転ぶなよ」
「マスターはすぐに子ども扱いする。転びませんよ」
むくれるカイトに苦笑を返す。
「弁当、持ってくれば良かったな」
「ですね。言ってくれれば作ったのに」
「行く予定じゃなかったんだよ」
「マスターはいつも行き当りばったりですもんね」
カイトが溜息を吐く。悪かったな、行き当たりばったりで。
「別にいいだろ。まあ、来年は弁当、持って見に来よう」
「はい」
カイトが嬉しそうににっこりと笑う。…何がそんなに嬉しいんだ?そんな他愛のない会話を交わしてるうちに桜並木の外れに出たらしい。人が少なくなる。どうやら、ここらへんは禁止区域らしい。
「人が少なくなりましたね」
「そうだな」
人が少ない所為か、淡く香る花の香りが濃厚だ。それに目を細める。
「…さくら、きれいですね。でも何か、さびしいな」
「どうして?」
不意に強く吹いた風に花びらが舞い上がる。
「…だって、すぐにこうやって散ってしまうから…。歌もなんか、お別れの歌が多いし…」
「大半がそんなイメージだからな。でも、俺はさびしいとは思わないよ」
「どうしてですか?」
「花が散れば、葉がいっぱい茂る。実もなるしな。花が散るのを寂しいって思うのは、見てる自分が寂しいからだろ」
それにカイトは首を傾けた。
「…じゃあ、僕は寂しいんでしょうか?」
「さあ?」
「…マスターは寂しいって思わないんですか?」
「前は思ったこともあったけどな。今は思わないな。お前、いるし」
その言葉にカイトは目を見開くと、ふわりと微笑んだ。
「じゃあ、僕も寂しくないです」
ひらりと散る花びらに目を細めるカイトの髪に花びらが落ちては絡むのを見ながら、来年も連れて来てやろうと俺は思った。
屋台で買ったたこ焼きを、桜を眺めながら二人で食べた。たこ焼きは初体験だったカイトは俺の忠告にもかかわらず、舌に火傷したと言って涙目になっていた。熱いから気をつけろって言っただろうが。冷めたのをちびちび食っていたが、美味しかったらしい。また食べたいと言った。
花見の帰り、31に寄った。…本当はこっちがメインで、桜はついでだったんだが、喜んでたみたいだからよしとしよう。
「トリプル、頼め。ついでにテイクアウトしてもいいぞ。奢ってやる。一週間分だけな」
「え!?、本当にいいんですか?」
「おう。早く、決めろ」
「マスター、大好き!!」
店内で大声で叫ぶな!!抱きつくな!!…まあ、今日は多めに見てやるさ。…でも、暫く、この店には来れないな…。
「マスター、有難うございます」
「どういたしまして」
帰りの車内、アイスを大事そうに抱えたカイトが俺にそう言った。
「…でも、どうして、こんなに買ってくれたんですか?」
アイスは一日一個と口酸っぱく言い、アイス代は小遣い以外は滅多に出さない俺が、トリプル、テイクアウトまで奢ってやったのをカイトは不思議に思っているらしい。
「遅くなったが、ホワイトデーのお返しだ」
「ホワイトデー…。…お返しなんて良かったのに」
「何でだよ?」
「マスターには色々、してもらってますから」
「それは、俺の台詞だ」
「ふふっ、でも、嬉しいです。ありがとうございます」
「どういたしまして」
バレンタインのお返しは、三倍返しが常識らしいしな。喜んでもらえたなら良かった。…帰ったら、桜の歌でも歌ってもらうか…そう思いながら、帰途に着いた。
オワリ
作品名:カイトとマスターの日常小話 作家名:冬故