幸せの定義
梅雨に入ったにしては珍しい晴れた空。そのくせ蒸し暑い風がまとわりつくそんな嫌な日に、あいつはいつも通りコートを羽織っていた。
「シズちゃん、何の用?」
「別に」
乾いた声が響いた。
ビルから見下ろすと溢れんばかりの人が地面を覆っている。こんなものを見て何が楽しいのかと静雄は思う。そして、彼にしては珍しくその問いを臨也にぶつけたのだった。
「お前こんなの見て楽しいのか?」
「楽しいよ」
臨也は笑った。その笑みがあまりにも澄んでいて静雄は思わず息をのんだ。
「人が普通に生きている姿はとても愛おしい。俺はそれが大好きだ」
「何で」
「何でってシズちゃんだってわかるでしょ」
瞳が妖しく揺れる。そして細められた目はゆっくりと静雄から人の群れへと移る。
「普通に生きて行くこと。普通であること。それが本当の幸せだ」
ガラスを挟んだ向こう側をみるように、臨也は街を見下ろしていた。
「そうだろ? シズちゃん」
それはすがるような声だった。
同じように「普通」であることができないものに向けた、それは小さなサイン。
「そうかもな」
今はただ、そう答えることしか彼にはできない。