閑話
幹に繋いだ愛馬がのんびりと草を食むのを横目に、右腕を押さえ軽く息を吐いた。
黒い軍服のお陰で目立たないが二の腕に受けた傷からは止まる事なく血が流れている。
エトルリアの守護神と謳われようとも所詮は生身の人間だ。腕に矢を受ければ血は流れるし傷も痛む。
不幸にも負傷をしたのが利腕であったためパーシバルは共に前線を率いていたフェレの騎士に了解を取ってから前線を離れた。そして後から合流する手筈の輸送部隊に血止めと傷薬を貰うため、こうして森に身を潜めるように立っているのだ。
我ながら間が抜けている。
騎士は苛立ちと自嘲の混じった表情で溜息を吐いた。
主君の命によりリキア同盟軍に入って随分経つ。しかし幾ら戦線を重ねてもこの軍に自分が居る事に対する違和感は拭えず、その違和感が集中力を削り、結果がこの体たらくだ。
己の情けなさにもう一度嘆息しようとした所に涼やかな声が割り込んだ。
「おや、パーシバル閣下。こんな所で何をなさっているのです?」
パーシバルが顔を上げると視界に現れたのは白い僧衣を纏ったエリミ-ヌ教の若い神父。
青い髪と涼やかな容姿が目を引くが、それ以上にその素行で顔が知れ渡っている――名は、サウルと言っただろうか。
神父は仮にも戦場にあるとは思えぬ落ち着いた足取りでパーシバルに歩み寄ると、騎士の右腕に目を止め、軽く眉をしかめた。
「お怪我をなさっているようですね」
「…この程度の傷は怪我の内には入らない」
「その割には前線を引かれているようですが」
「手負いでは周りの者に余計な不安を与える。傷の処置をしてから前線に戻るつもりだ」
「成る程、至極正論ですね」
神父は軽く笑むと、手にしていた杖を掲げる。
「では僭越ながら私が閣下の傷を癒して差し上げましょう」
「いや、神父殿のお手を煩わせる程の傷でもない。血止めと傷薬さえあれば事足りる」
「残念ですが閣下、輸送部隊はしばらく到着しませんよ。伏兵があったので後方では小競り合いが起きています。私は前線のお手伝いをするようにとの命を受けたので一人でこちらに向かいましたが」
「しかし」
パーシバルに言葉を挟ませる隙もなく、サウルの唇は短く祈りの言葉を紡ぐ。
杖が淡い光を放ち、パーシバルの傷は見る間に塞がっていった。同時に痛みも波が引くように和らぐのを感じ、騎士軍将は小さく息を吐いた。
「……礼を言う」
「いえ、お気になさらず。これが私の仕事ですし、閣下にお礼申し上げたいのは私の方ですからね」
「神父殿に礼を言われる覚えはないが」
訝しげに眉を潜めるパーシバルに微笑みを崩さないままサウルが頷く。
「私自身の事ではありません。閣下が先日戦場での心得をご指導下さった少女の事です」
「それは、弓使いの…ドロシーという少女の事か?」
「ええ、彼女は私の護衛なのですが、」
神父は涼しい顔で頷く。
「娘のような、と言うには年が近いですから…そうですね、私にとって彼女は妹のような、つまり家族同然の存在です」
なるほど、神父の言葉の端々から感じられるのは肉親に対する慈愛に似ている。
「彼女が、閣下には大変お世話になり、助けて頂いたと。ですから是非お礼をしたいと思っておりました」
「神父殿のお気持ちはわかったが本当に礼を言われるような事でもない。気にしないで頂きたい」
「おや、閣下は随分つれないですね。私はお礼にかこつけてお茶にでもお誘いしようと思っていたのですが」
「お茶…?」
「ええ。それがお気に召しませんのでしたら、夜通し神の愛について説いて差し上げてもよろしいですが」
この神父の言うところの夜の説教とは自分の寝台に招く事だという話を耳に挟んだ事がある。
つまり、目の前で慈悲深く微笑む神父はタチの悪い冗談で自分をからかっているのだ。
パーシバルは憮然とした。
「折角だが、慎んでお断りする」
「おや、それは残念です」
固い口調の騎士に、神父は面白そうに破顔した。