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alone, with you

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走る、走る。どこまでも、走り続ける。
足を止めてはならない、振り返ってはならない。
俺は荒い息を吐き出しながら、激しく心臓を跳ねさせながら、走り続ける。

両脇にそびえ立つ黒い壁。見上げても空の色すら覗かないほどに高い壁。
時々現れる曲がり角。さらに続く、薄暗く細い道。
文字通りの迷路の中を、俺はひたすらに走り続ける。

―――なぜなら、俺は今、俺が愛するはずの人間たちに追われているから。

彼らが、後ろから俺に迫ってくる。容赦なく、敵意を剥き出しにして、追いかけてくる。俺はがむしゃらに、彼らから逃げ続ける。

誰が自分を捕まえようとしているのだろう。
俺と自殺したがっていた名前も思い出せないあの女か、俺からの情報に惑わされた結果、痛い目を見ることになったあの男か、あるいは……

だが、それがどうしたというのだ。
俺は人間が好きだ。昔から、ずっとそう思ってきた。人間を心から愛している。たとえ人間たちの方が俺のことを憎んでいようと、恨んでいようと。
ならば、今すぐに足を止め、振り向き、両腕を広げて彼らを迎え入れればいい。簡単なことだ。

―――違う。
違うのだ。今、この薄気味の悪い場所まで俺を必死に追い求めて来るのは、人間たちではない。

折原臨也に本気で関わろうとする者なんて、本気で向かってくる者なんて、いるはずがないのだから。

―――たった一人の例外を除いては。

「……シズちゃん?」
15歳の春に出会った彼の名を、小さく呟く。今自分を追っているのは、あの化け物なのだろうか。

いや、彼でもない。
あの単細胞の化け物といえども、こんな奴をこんな迷路の奥までひたすらに追いかけてくるわけがない。


―――分かっている。

俺の方から彼に関わらなければ、話しかけなければ、きっとあいつだって俺に構いはしないだろう。
こちらが近付きさえしなければ、すぐにでも折原臨也の存在なんて頭から消してしまうだろう。

俺と顔を合わせたところで、俺の姿を見かけたところで、自販機を持ち上げることも、標識を引っこ抜くこともせず、ただ静かに俺に背を向けるようになるだろう。

当たり前だ。
いくらあいつでも、そんな無意味なことをする程の、馬鹿、だとは思えない。


後ろから迫ってきているのは、人間でも、化け物でもない―――では、俺は何から逃げている?

「……ああ」
変わらず足を動かしながら、再び小さく呟いた。
どっちが馬鹿だ、笑い出したくなる。そうだ、心のどこかではとっくに気付いていたのだ。

誰もいない。

全力で俺を追い求める者など、誰もいない。
今、足を止めても、振り向いても、俺の後ろにはきっと、誰もいない。
愛する人間たちも、あの化け物もいない。黒い壁と細い道と暗闇がどこまでも続いているだけ。

俺はただ、その何も無い空間を目にするのを恐れ、逃げているだけなのだ。

この迷路の中、自分がひとりぼっちでいることを認めるのが、どうしようもなく怖いのだ。

こんな状況を招いたのは、他でもない自分自身だ。他人を利用しながら、こちら側には決して踏み込ませない。それを望んできたはずだし、今でも望んでいる。その結果がこれならば、甘んじて受け入れるのみだ。

そう理解しているはずなのに、足は止まらない。振り返れない。ひたすらに、走り続ける。
無から逃げ続けるという、どこまでも滑稽な一人劇を続ける。

―――だれか。

また一つ、前方に曲がり角が現れた。自分の荒い息と、激しく打つ鼓動の音だけが絶え間なく聞こえる。

―――だれか。

曲がり角を折れる。目の前には、高く黒い壁に囲まれた細く暗い道が、再び続いている。

出口は、見えない。

―――ここから、出して。
―――………―――――。


「……………ざや、おい、臨也!」
全身がびくりと大きく一度震えた後、焦点の合わなかった視界が次第に一人の男の顔を映し出した。ひどく焦ったような、必死さすら感じさせる顔。

「―――しず、ちゃん?」

やはり自分を追い回していたのはこの化け物だったのか。
あるいは、彼が自分をあの場所から救い出したのだろうか。
言いようのない安堵感を一瞬だけ覚えた後、俺の全身は完全に覚醒した。

―――夢か。

鼓動は、まだ少し速かった。

「何? いい夢見ながら眠ってたんだけど」
「……あれだけうなされてたんだから、よっぽどいい夢だったんだろうな」

思わず舌打ちをした。……こいつに無防備な姿を晒してしまうなんて。
シズちゃんも少しイラっとした様子を見せて、ベンチから離れた屋上の隅へ行き、煙草を吸い始めた。

―――屋上。
そう、ここは、俺が通う来神高校の屋上だ。給水塔とベンチが一つある他は何も無く、だだっぴろい空間。そびえ立つ壁などは、どこにも無い。
だが、入学してから初めて迎える6月の空は、毎年の梅雨の例に違わず今日も薄暗い。だからあんな夢を見たのだろうか。
横になっていたベンチから身を起こし、腕時計を確認する。昼休みはもう過ぎていて、既に授業が始まっている時間だった。

……起こさず放っておけばよかったのに、とか、俺が嫌いなら屋上から出ていけばいいのに、とか。
いろいろ言葉が口から出そうだったのだけれど、押しとどめた。
ついでにさっき見た、必死で自分の名前を呼ぶ彼の顔も、無理矢理頭から追い払う。

「あーあ……」
あくびをしつつ伸びをした後、俺はベンチから立ち上がって彼に近寄っていく。……とりあえず、今日は休戦かな。
「シズちゃん、煙草一本ちょうだい」
「………」
幸運なことに彼も喧嘩モードではなかったようで、俺に煙草とライターを乱暴に投げて寄こした。ここまで大人しいのも珍しい。
「………にが」
煙草を吸うのは久しぶりだ。やっぱり美味しくもなんともなかった。口の中に広がる苦みに辟易してしまい、俺はすぐさま煙草を踏み消した。
「ノミ蟲にはまだ早いんだよ」
「うるさいな」
たった数ヶ月で随分背が伸びた気がする彼の隣に並び、グラウンドを見下ろす。今はどのクラスも体育の授業ではないようで、人は一人もいなかった。

生温い風が一つ、屋上を吹き渡って行く。

「……どんな夢だったか、特別に教えてあげようか。タダで」
「知るか、黙れ、死ね」

―――大人になった俺が、煙草が嫌いなままでも、変わらず人間を愛していても、愛せなくなっていても、たとえ何からも愛されていなくても。
―――この男がいれば、俺はいつでも迷路から抜け出せる。

俺はそう確信していた。
決してそんなことは望んでいない。よりによって、こんな男が自分の拠り所だなんて信じたくもない。まるで、呪いを宣告されたような気分だった。

しかし、先ほど目覚めた時に感じたあの一瞬の安堵感が、俺にそう確信させたのだ。

「今日は俺のこと殺さないの? 今なら寝起きだから、チャンスだよ」
「……今日は焼きそばパンが食えたから、見逃してやる」

否、あるいは―――その呪いは、運命とでも言い換えるべきものなのだろうか。

「なにそれ」
俺は俯いて、込み上げてきた笑みを彼から隠した。緩やかな風が通り過ぎ、前髪を揺らすのを感じる。

―――それにどうやらシズちゃんは、俺が想像もつかない程の、馬鹿、みたいだしね。
作品名:alone, with you 作家名:あずき