愚かな終焉者
毎日のように起こる戦争や喧嘩沙汰によって流される血の匂いは、地を這うが遥か彼方に高い空までは匂わないし、喧噪だって薄れて聞こえる。(勿論、私を呼ぶ悲鳴なら何処に居ようと察知できるのだが)
人々が皆、空を飛ぶ事が出来たのなら争いは消えて無くなるのかも知れない、と白昼夢を考えつつ飛行をしていれば、大きな悲鳴が聞こえた。
英雄なのだから、助けてやらねば。と人助けより自尊心を重視するような思考をしながら、声の方へ急降下すれば、そこには地獄絵図さながらの光景が広がっていた。
切れ味が鋭くない刃物で殺されたのか、縫合出来ないよう位ずたずたに切り裂かれた死体が、ごろごろと転がっていた。噎せ返るような腐った果実のような臭いに、思わず鼻を覆う。
「全くなにが、どうなっているのだよ」
思わずため息を吐くしかなかった。まるで戦争時に見せしめに行う虐殺のような、原型を留めない位に無惨極まりない殺され方をしているものだから、自分の失敗など全て棚にあげて、思わず黙祷をしてしまった。
「おい、」
ぞく、と後ろから殺気がして、避けるように飛び上がってから振り返れば、使い勝手の悪そうな大振りなサバイバルナイフを携えた男が立っていた。ナイフは赤く染まって、その男が着ている迷彩柄の軍服には赤い柄が増えている。
「……あぁ、軍人くんか」
「その通り。アンタがよく知っている軍人くん、フリッピーだ」
腕を広げて、けらけらと笑っている姿は狂気に魅せられたと表現するしかない光景であった。反対の手に持っているのが住民の生首であるのも、それの一因であろう。
「私がピーナツを持ってくと、困った顔をしながら断る軍人くんじゃないようだけど」
「っはは、じゃあ誰だと言うのだ?」
「いいや、君は紛れもない軍人くんだ。違うといえば、『覚醒』しているという一点だけだよ」
軍人くんは血塗れのナイフを血のように真っ赤な舌で舐め削って、がり、と刃を歯で噛んでいた。
「は、はははははっ! 最高だ。さすが、フリッピーが言うだけはあるじゃねぇか」
得物を逆手に持ち替えた彼は、ニィと凶悪そうな笑みを浮かべて、死体を手放した反対の手で私のマントを思い切り引っ張ってきた。
「何をするのだ。マントから手を離し給え!」
「だって離したら、飛んで消えちまうんだろ? そうさせない為にマントを掴むのは得策だと思うぜ。いっつも、いっつもフリッピーに迷惑を掛けやがって!」
「軍人くん対しても、君に対しても私は英雄でいたいだけなのだよ!」
叫べば、軍人くんはカランとナイフから手を離した。そうして薄気味悪い笑みを浮かべながら、腕に手を伸ばされる。
「私に触れるでないよ。嫌いなら、ひと思いに殺せばいいだろう!」
「やめた、アンタをぶっ殺しても気が晴れねぇし」
「ならば、離してくれよ」
思い切り掴まれている所為で、腕が鬱血しているのだろう指先がびりびりと痺れて感覚が鈍っててきていた。
「離すかよ。アンタには殺さずに痛めて、痛めて、いっそのこと殺してくれと懇願するまで痛めつけてやる」
二の腕からパキッと、酷く軽い音がした。あぁ、骨が折れてしまったかもと、漠然と思うものの血が止まってるお陰で痛みはあまり感じなかった。
「……それは、面白い考えだね。私の事をそんなにも殺したくないのかい?」
この町では人が死ぬ事は日常茶飯事だ。故意で、不手際で、遊びの延長上で。けれど私達がこの世から消える事は殆どなくて、暫くしたらまた元気に飛び交っている。だから、彼が簡単に殺さないと宣言したのは、異常に思えるのである。
「は、なんだアンタは。気持ち悪い事、言うんじゃねぇよ!」
苦しむのに、なんでだよ! と叫んでから彼は私の身体を、地面へ押しつけるように引き倒し、その上に馬乗りになった。
「では、とっとと私を殺し給えよ。私が嫌いなんだろう? 君が大事にしている軍人くんに迷惑なのだろう」
「あぁ、迷惑だ。でも、アンタを殺しちまったら、フリッピーは自責の念に駆られちまうだろ? ……畜生、フリッピーと一心同体じゃなきゃ、ずたずたにぶっ殺せるのに」
譫言のように呟きながら軍人くんは私の首に力を加えてきた。殺す気はないって、嘘ではなかったのか、と思うほどの怪力で首の骨がぎしぎしと音をたてていた。
「わ、たしを……殺す、っげほ、ぁあ、あ」
きちんとした声が出なかった。血管が圧迫されているのだろう、頭がぼんやりとして視界が霞む。絞殺は生まれて初めてかも知れない、とか至極どうでもいい事が頭の中をぐるぐると回った。
「フリッピー、馬鹿だからよ。きっと、サバイバルナイフで刺殺とか、惨たらしい殺し方ばっかり好むと思ってやがる」
首と一緒に絞められていた鎖骨が音をたてて砕けた。
「だからよ。絞殺みたいなキレイな死に方させたら、きっと自分じゃないと思うぜ、きっと」
血に塗れた凶悪そうな笑みを最後に、私の記憶は全てぶっとんだ。