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境目

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『境目』



 





正直、あの男の事を梅宮信之介は半ば幽鬼だと思っていた。

夜半過ぎの朽葉ヶ原を歩くのは己以外なら死骸漁りの類くらいしか居なかろうと思うのに、あの男はそれではなかった。
死骸から残留の品を掠め取るでも無く其処に立ち。身に纏うのは敗軍の草臥れた鎧。月の薄青い光が冴々と男の無骨な頬を照らしていた。
少し丘を下れば未だ死骸は無数に転がっているというこの地にこの出で立ちで、幽鬼で無ければ何だというのだろう。
迷う気持ちは判る。だから信之介は納得していた。
名も刻まぬそれの許へひっそりと通う己の前に幽鬼が迷い出たとて、何の不思議も無い。生者が憎いと取り殺すならそうせよ。心残りがあるのなら聞く。出来る事なら迷い無く安らかに。
そう思いながら男を見詰めていた。
信之介とて武士である。そして今生きている以上、己の掌は己の得物は他者の生命を吸ってきたのだ。
男は程無くして特別言葉も発さぬまま。
信之介をどう見たのか何を考えたのか、大した表情も無いまま坂を下りていった。
幽鬼に足が無いというのは嘘だな、と信之介はその背を見送ったのだが。

幽鬼は今、天奈城の中庭に居る。

勿論夜半では無い。陽は高い。今男の頬を白く照らすのは青い月では無く眩い太陽だ。

幽鬼では、無かったのか

信之介は口腔の中でのみそう呟いて、与えられた口上を述べた。

我こそは藤森の刃たらんと、もののふの気概を抱くのなら、此処に示して見せよと。侍たる刀を振るえ。己が志を閃かせよ。

祇州天奈の統治者、藤森主膳の尖兵にと刀を携え、武士がひしめき合っている。血に飢え、蹂躙する強者の快さに酔う眼。食い詰めて切迫する眼。欲望と思惑。真なる志など見当たらぬ。
知っている。判っていた事だ。信之介にとってはどうでもいい。
しかしそれらを浚う信之介の眼を引いて離さぬものがひとつ。
あの男の眼である。
男の黒い眼は一分もずれずにじっと信之介に注がれていた。男には気負いも飢えも野心も見当たらない。
本当に、幽鬼では無いのか。信之介は瞬いて男を見詰め直した。何も抱かずに此処へ立つその意味が信之介には判らない。
その疑念と僅かな恐怖を圧して、号令を掛けた。

「では皆の者、始めッ!」

あちらこちらで鯉口を切る冷えた音が響く。
半瞬後には怒号と、散る火花と、新しい鮮血を伴う肉の破片。悲鳴。戦の全てが小さなこの庭に在った。

何の事は無い。
仕官を募り、集った野武士を互いに斬り合わせて篩に掛けるのだ。目的は軍勢の強化である。欲しいのは手練れ。すぐに死ぬばかりの弱者に遣るような支度金は無い。けれど、これほど簡潔で凄惨な方法は無いだろうと信之介は思う。
人間に対する扱いでは無い。

鈍い白光の閃く中、信之介の眼はやはり離れず男を追っていた。
男の扱う得物は何の変哲も無い古びた大刀。腰を落とす中段の構え。巨躯の振るう槍の切先が男を襲ったが、大きな掛け声と重量のあるそれをするりと避けて、空振りしたところを右下から斬り上げた。悲鳴が上がる。痛みに泳いだ上体を今度は左下から。
槍を取り落とし悶絶するのを見遣ってもう戦えぬ事を確かめると、脇から飛んできた刀の手許を腕で振り払った。すかさず腹を蹴り上げる。怯んだところを袈裟懸けに斬り下げると着流し姿の男は絶命した。
瞼あたりに飛んだ己のものでは無い血飛沫を手甲で拭い。
背後から迫った一閃を寸手で避ける。二手目が肩を裂いたが男はその傷に構わなかった。刀を横に引いて防御へ入る相手を認めると、無理に斬り掛かろうとせずに男は素早く組んで地へ引き倒した。強く背を打って弾む身体へ切先を落とす。それで終わり。
動かなくなったその塊を足で払い退けて、今度は攻勢に出る。
丁度斬り結んだ相手を斬り伏せたらしいものへ向かって首筋に一閃。傾いだのか振り向いたのか、その身体へ向かってもう一度振り下ろす。
ごろりと、酷く重い音が地に落ちる。

男は、強かった。

男の周りに骸が重なる。
得物はいわくのあるものでは無かったらしく、血と脂に塗れて斬れぬとなればあっさりとそれを手放して骸の掌から落ちたものを足先で拾い、また斬った。

男は、やはり、生きている。

死人があれほどの刃を振るって生者を手に掛けようか。足許に骸が増える中、未だ生を保つあの男はしかし、ただ純粋に強いというのでは無いと信之介は見詰めていた。

確かに強い。
負けぬのだから強いのだろう、しかし。強いというよりもあれは。

男の振るう刃は剣術というものでは無かった。
ただただ、生き延びる為の剣技。襲い来るものを殺す為の剣技。戦という名の地獄が生む力。其処でしか磨かれ得ぬもの。泥に塗れ、血を浴び、屍を踏み締めたものにしか持ち得ぬもの。
男の手に在るものは、戦の中を生き延びる為の、己の生命を守り抜く為の、唯一の方法だった。

「…………」

兵を募っているのである、集まった中の最強ひとりを決める斬り合いでは決して無い。だから本当は、幾人か残ったところで信之介は終了を告げねばならなかったのだ。男の動きを追っていて、それを忘れてしまった。
見蕩れる程の流麗な剣技だとか、そういったものでは無かったのに。

信之介の食い入るような視界の中で、男は、だらりと腕を下げた。
掌には血刀。
手甲から刃、そして地に滴る血は恐らく男自身のものでは無い。もう庭には、男の他に動くものは無かった。生きているのはあの男だけ。男を取り巻いているのは無数の骸だ。男の手にするあの刃が、死と生の境を赤く描くのだ。

ゆっくりと振り返る。
そして、男は信之介を見る。視線が再びぶつかって結ばれる。その茫洋な黒い眼は、斬り合う前と何も変わりはしなかった。
夜半、月光の下で出会った時も。信之介の号令を待っていた時も。今、ひとり此処へ立っていても。
男の眼に僅かな変化も無かった。先の激戦がこの男をこうしたのか、或いは生来こうなのか。

何故か信之介の喉頭に笑みが突き上がった。

「…………見事な腕前よ、正に藤森の刃となるに相応しい」

名は?

信之介の問いに、男は血に汚れた頬を指で擦りながら応える。

遊津

あんたを追ったら此処へ着いた。

名に続く声は、信之介の耳には届かず。男はそれを二度と繰り返さなかった。




 
作品名:境目 作家名:あや