感触
「……マルス」
「アイク?おはよう」
名前だけを呼べば、彼の人はくるりと振り向いて花の蕾が綻ぶようなほんの小さな微笑みと春風のような暖かい声が差し伸べるように返してくる。それは己の眼から見れば少しきらきらしていて、長い睫毛や髪がもっとそれを顕著にしている。
「お、はよう」
ぎこちなく挨拶を返しても気にしないで微笑ってうん、と頷いてくれる。春に咲く花のように淡く紅く色づく唇はふにふにとした弾力を示すようにふっくらと弧を描く。いつも見かける笑顔が、自分だけ特別なものであったらいいのにと時たまアイクは思う。
「マルスー遊んでー」
「ぽよぃー」
ネスとカービィがぽてぽてと城の廊下を走ってくる。それに少し屈んでマルスは応じようとしているのを見たアイクは、彼の髪の裾が思ったより長い事に気付いた。いつか自分の指で梳いてみたい。
そんなことを考えられているとは知らずにマルスはまた後で、と瞼を伏せて笑んだまま子供の手に引かれていった。羨ましいと素直に思う。そして自分がもっと饒舌な人物であれば少しずつ育ててきた想いも少しずつ溜め込んできた言葉も全部、伝えてしまえるのに。
(……羨ましい)
アイクは心で改めて想う。あの微笑みが、自分と向き合うときだけ違う意味をもつものになればいいと考えて、一回だけ溜め息をついて瞼を伏せた。意外に長い睫毛が影を作った。
最初のころ、本当は意識なんてしていなかったはずなのに、どうして好きになってしまったんだろう。
マルスが傍にいると胸がきゅう、と締め付けられて甘いものを食べた時のように顔が緩んで風呂上がりのように身体がじんじん熱くなる。そしてとても幸せだ。ずっとこうだったらいいのにと常々思って、何かの拍子に彼が離れたりすると何故か酷く落ち込んでしまう。
マルスが居ないときはどこにいるのか気になって目で探して忙しなくうろうろしてさまよって、落ち着けない。傍にいたいと思って彼を見つけるとついそのまま名前を呼んでしまう。
あと、マルスと付き合いが一番長いとかでよく一緒にいる小さい赤毛。実際そんな小さくないけど、マルスの目の高さぐらいなんだが自分より低いので小さいということにして。そいつとマルスが仲良くほのぼのと喋っていたりするのを見るとむかむかして頭がぐらぐらして、胸が刺されたようにずきずきする。一緒に居てほしくないと思った。
そんなことをメタナイトやリンクやピットの前で言ったら三人揃って同じ答えを返してきた。別にそんなところだけシンクロしなくていいのに。
「それは嫉妬っていうんだよ。アイク、マルスに恋してるんだ」
恋ってなんだ、とまでは言わないけれど。
俺、マルスに恋してるのか。
そう考えると耳に響くぐらいどきどきして顔が熱くなった。確かにマルスが居ると嬉しい。目が合ったり自分が言った事で笑ってもらったりするとそれだけで幸せだ。
マルスが、好きだ。だけど本人はどう思うか解らないから言わない方がきっといい。男同士でそんなこと気持ち悪いとかそんな気持ちで見てたのかと嫌われるよりかその方がずっといい。
だから、このままで。
「アイク!」
名前を呼ばれて胸が、身体が跳ねた。何事かと前を見ればマルスが少し息を乱しながら寄ってくる。
「あ……ど、どうかしたのか?」
「やっぱりアイクも、一緒に来て。僕一人が皆を、追いかけるのがもう…疲れちゃうよ」
「わ、わかった」
言葉に詰まりながらも訊けば、マルスは酸素を取り込むために息を吸い込みながら逞しくしかしほっそりとした腕をとった。子供達の相手をして些か疲労しているからか途切れそうになる纏まりのない言葉、それに対して腕を掴んだ手はひんやりとしている。
頬を無邪気に上気させているマルスの吐息や弛く開かれた唇からちらちらと覗く紅い舌にどきどきしながらアイクは頷いた。さきほどの嫌な仏頂面を見られたりしていないだろうか。
「じゃ、行こう」
手を引かれるがままに歩き出す。柔らかい手のひら、しなやかな指、つやつやの爪。今、マルスと一部分だけでも触れあっているんだと思うと胸が少しだけ満たされた気がした。