ビューティフルワールド
『晋助の目は、とても綺麗な色をしていますね』
もう居ない人の声だ。だからこれは鼓膜を揺らして感じ取っている声ではない。
それは胸の奥、言うならば心とでも呼べるような不確かな場所から聞こえた気がした。
この耳に入ってくることは二度とない声に、つい聞き惚れてしまった。
『きっと美しいものを、たくさん見ているからですね』
あぁ先生、じゃあ俺の今の目はひどい色をしていることでしょう。
貴方には見せられないような色をしていることでしょう。
恥ずかしい大人になってしまいました。汚い大人になってしまいました。
貴方が誇れるような大人にはなれませんでした。ごめんなさい、ごめんなさい。
「高杉!!」
今、自分が何処に居るのかを思い出した時、肩に焼けるような熱さを感じた。
斬られたのだと頭で冷静に判断しながら夢中で刀を振った。斬った感触だけが生々しくこの手に伝わる。
目の前に居た敵が足元に崩れると、その向こうには戦場が広がっていた。
敵も味方もわからないものたちが地面に転がっている。あちこちから煙が立ち上っている。
斬られた肩に手を添えると痛みが走ったが、今更この程度の傷に顔を歪めることもなかった。
それよりも、目の前の景色に鋭い痛みを覚えた。煙と同じ色の空が何処までも続いている。
一体いつからこの目に映る空は青くなくなったのだろう。このひどい色はなんと呼べばいいのだろう。
肩に乗せた手に力をこめた。傷を抉るように爪を立てる。もう血の匂いなんて嗅ぎなれた。
「どうした」
尋ねながらその男は強い力で俺の手を掴んで傷口から離した。
敵を斬る時だって無表情を貫いているくせに、俺の手のひらを見て急に眉間に皺を寄せる。
そういえば、先程俺の名前を呼んだのもこの声だった気がした。徐々に記憶が輪郭を取り戻す。
ふわりと浮かんでいた周囲の空気を刀のように切り裂き、その声は俺の耳へと確かに届いた。
俺をあの白昼夢から呼び覚ましたのは、お前か、銀時。
「俺の目って、どんな色だ?」
「はぁ?」
この場所は少し落ち着いたようだが、遠くからはまだ戦の音がする。まだこの戦いは終わらない。
だから空も灰色のままだ。青空がこんなに遠いものだなんて、あの頃は思いもしなかった。
懐かしい人の声がこの耳にちゃんと聞こえていた頃は、空なんて見上げればいつでもそこにあった。
銀時は俺の言葉を聞いて、手のひらから俺の顔へと視線を移動させる。
顔を上げた銀時は、これ以上ないくらい訝しげな表情を浮かべている。
「なぁ、どんな色をしている?」
「どんなって・・・」
銀時は困った顔をして頭をかいている。刀を持っている手でやるもんだから若干危ない。
血で滲み輝きを失った鈍い色の刃を見て、こいつが何人斬ってきたのかを想像してみた。
だけどそんなものを数えたところで、何の意味もないことに気付いた。数字など浅はかなものにすぎない。
俺は銀時の目を見た。銀時は困惑した目でうろうろと視線を定めかねている様子だった。
その目は何かに似ている。なんだろう、俺は眉根を寄せてそれを深く見つめる。
すると俺の視線に気付いたのか、銀時の目がすうっと細くなり、吸い込まれそうな視線を向けてきた。
俺の背はなぜだか急に震え上がる。言いようもない恐怖を感じて思わず目を逸らした。
「何だよ、見えねーじゃん」
「・・・やっぱりいい、行くぞ」
銀時の目に殺気の類を感じた訳ではない。ただ漠然とした恐怖がそこにはあった。
俺は奴の手を振り払い、戦況が厳しそうな方向を音で察知してそちらへ足を向ける。
足早に去ってしまおうとしたのだが、銀時は俺の思いとは裏腹に後を追ってきた。
付いて来るその足音に舌打ちを零していると、急に後ろ頭を掴まれた。
「安心しな、お前の目はまだ生きてるよ」
銀時はにやりと笑いながら掴んでいた頭をひとつ叩くと、さっさと俺を追い抜く。
真っ直ぐ伸びた白い背中が、お前の頭ってちいせぇのなぁ!と叫ぶと風のように去って行った。
血で汚れたその背中の向こうに、あの頃のような青い空が見えた気がした。
どうやら俺の目はおかしくなってしまったらしい。
こみ上げてくる笑いを堪えることが出来ずに、遠くから聞こえる爆音と共に笑い声を上げた。
俺は強く一歩を踏み出して、白い背中を追いかける。このまま走り続ければあの空にも手が届くだろうか。
少なくともこの手が届くだろうその背中には、とりあえず蹴りを一発食らわせて貰おう。
あぁそうか、お前の目だけは。あの日々と同じ色をしている。
作品名:ビューティフルワールド 作家名:しつ