sweet children
真田の発言に俺は少し驚きを含めて聞き返した。その言葉に、真田は頬を赤らめて目線を逸らした。
「幸村、病院でそのような大声を出すものではないぞ」
「でも、真田、バレンタインって」
部を引退してから気が抜けたのか、年が明けてからあまり体調が良くなかった。そのため2週に一度の病院通いを余儀なくされている。俺を心配して、いつも真田か柳のどちらかが付き添ってくれる手筈だ。俺が受け取った薬を鞄にしまうと、真田も帽子を被り席を立った。俺たちは連れ添ってエントランスを後にする。自動ドアをすり抜けてから、俺は再び真田に先程と同じ問を掛けた。
「今年は逆チョコって言うのもあるらしいし、真田もあげたい人がいるんだね」
「うむ、その、」
しどろもどろに発言を誤魔化された。何事においても白黒はっきりしている真田にしては珍しかった。よほど恋愛ネタは苦手と見える。そんな初々しい真田につい笑みを零していると、苦々しい顔を返された。こういう時くらい、俺が付き合ってやるのも悪くないと思う。病院を出て帰りのバスには乗らずにそのまま駅へと歩き始めた。すぐに真田がそれを制止する。
「幸村、帰らないと母が心配するのでは…」
「真田が一緒なら何も言われない、大丈夫さ。今日は気分がいいんだ。歩かせてくれよ」
真田は釈然としない顔だったが、俺は笑ってその背を押した。
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中心街に向かうにつれて徐々に人が増す。真田がさりげなく俺の斜め前を歩き、1番負担のないルートを選んで歩いてくれるので随分と楽だ。
「真田がチョコをあげたいと思う人はどんな人なの?」
今まで静かに人混みを眺めていた俺が、不意にその話題で口を開いたので真田は若干驚いたように振り返り、すぐにばつが悪そうに前に向きなおった。帽子のつばを、2度きゅっきゅと掴む。緊張したときの真田の癖だ。ゆっくりと息を吐いて、真田は話し始めた。
「そうだな…色白で、堂々としている。人に弱さを見せない。誰よりも痛みを知っている、だからこその優しさを持ち合わせている」
おや、と思った。珍しく真田にしては愛しみのある声色だったからだ。当たり前と言えば当たり前だが、人並みに真田にも恋をする気持ちがあるのだと思うと、素直に嬉しかった。
「…何が可笑しい、幸村」
立ち止まって笑いを堪えていた俺を、真田が訝しげに咎める。指摘をされたことで俺の笑いは爆発した。
「真田、かわいいところあるね」
一瞬むっとした真田だったが、すぐに照れたように下を向いて、うむ、と一言漏らしただけだった。
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バレンタイン当日でもこれだけ人で溢れ返っているのだから、バレンタインが不況に左右されないと言うのは本当の事だろうと納得が出来る。デパートのバレンタイン特設会場には前々から興味があった。男2人で行くことに真田は随分抵抗があるようで、先程から眉間に皺を寄せたまま黙り込んでいる。
「真田のために来たんだよ、ほら笑って笑って」
「バレンタインとは笑うものなのか…?」
若干ずれた発言をする真田を引っ張って、俺はそれぞれの店が出すブースを見て回る。やはり女性客が大半を占めるが、男性もぱらぱらとは歩いている。元々女性ばかりの中での生活が長い所為か、俺にはこの方が落ち着けた。
チョコレートの試食を真田に進めると、困ったように固まってしまった。
「甘いものは…苦手だ」
「味も確認しないでどうするの、おいしいものをあげたいでしょう?」
「うむ…」
俺が差し出す爪楊枝をじっと見つめて、意を決したように真田はそれを受け取った。それでもまだ持ったまま動かないので、俺は業を煮やしてそれをそのまま真田の半開きになった口に放り込んだ。幸村、と大声を出す真田だが、周囲の視線に気が付きすぐに押し黙った。
「どう、おいしいでしょ。これ俺のおすすめね」
俺はウィンドウに飾ってある10ピースの細長い箱を指差した。ひとつだけ赤いハートが入っているのがなんとも可愛らしい今年の新作だ。テレビで見てからずっと気になっていたものだ。真田は俺が示したその箱を興味深く眺め、うむと頷くとそのままそれを購入した。その決断力の速さに驚きつつ、少しにこやかに帰ってきた真田に、お帰りと言葉をかけた。
「他にももっとあったのに、本当にそれでいいの?」
「うむ。これがおすすめだとお前が言ったからな」
え、と固まった俺を無視するように真田が先に歩いて行ってしまうので、俺も慌ててそのあとを追った。
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バスに乗って、降りるのはすぐだと言うのに真田は俺を座らせた。そしてその膝の上に、先程買ったばかりのチョコレート箱を乗せる。何、と少し怒ったように視線を投げかけると、困ったように目を泳がせて、呟くようにハッピーバレンタイン、と言われた。あまりにそれが普段の真田からかけ離れた奇異なものだったので、やっぱり笑いが堪えられなくて、くっくと短く笑って見せた。
「真田からこんないいチョコもらえるとは思わなかったな」
うむ、と照れたように微笑んだ後で、付け足すようにレギュラーの連名だと告げられた。
「丸井が最近元気のない幸村を元気にしたいと言い出して、丁度当日に顔を合わすのが俺だから渡すように言われたのだが…甘いものが苦手でチョコレートなどどれがいいのかわからず当日になってしまった」
「だから当事者に相談したのね。その大胆さが真田らしいよ」
すまない、と本当に申し訳なさそうに謝られた。そんなに悲しい顔をする必要もないのに、と俺はそんなことはないと言った。
「真田からもらえただけで、十分だよ。しかもこのチョコレートずっと食べてみたいと思ってたところだから。お返しは期待してもいいと思うよ」
ブー、とあまり可愛らしくない機械音がして、俺が降りる停留所にバスが止まった。真田がさりげなく道をあける。それじゃあ、と言って俺は立ち上がる。真田も手をあげて気をつけて、と常套句を述べる。
「聞かれた人物像だが…あれは嘘ではない。あげたいと思えるのはずっと、お前だけだ、幸村」
聞き返している時間はなかった。俺は無言でバスを降りる。バスが走り去る、真田の後姿だけが妙にはっきりと映って見えた。真田が愛しさを込めて語ったあの人物像が俺と言うのなら。きっと真田はわざと俺が聞き返せないタイミングを狙ったに違いない。そういうところ、天然に策略家なんだから驚く。
「愛されてるな、俺」
作品名:sweet children 作家名:しょうこ