太平洋も越えて
「なんですか、アントーニョさん」
背中越しに伝わる振動をさらりと返せば、アントーニョもまたさらりと言う。
「俺菊のことめっちゃ好きやでぇ~」
「ああ、そうですか」
まるでなんでもないことのように放たれた言葉に菊はおざなりにうなずいた。
視線は、眼前の書き物からちらりとも外さない。
万年筆をさらさらと動かしながら適当に答える菊に、アントーニョは怒りもせずに笑った。
「ほんまやって、ほんま~。嘘とちゃうでぇ? 俺、菊のこと愛してるで! なんかあったらすぐに飛んでいったるさかいな!」
「それは恐れ入ります、すみません」
どうせていのいい口約束だろうと。
この男が普段周りにふりまく見境のない好意とたいしてレベルは違わないだろう、と。
菊は微塵も疑うことなく断じて、平然と書き物を続ける。
淡々としたセリフを口にした瞬間、背後でアントーニョがくすくすと笑った。
そのまま身を離したらしく、背中からあっという間に熱が遠ざかる。
菊がまばたきする間にまたも熱が間近まで近づいたかと思うと、耳元で低く甘いささやきを放った。
「もちろんマジもおおマジや。昔ほど大変とちゃうけどなぁ、太平洋くらいはすぐに越えてそばまで行ったるで!」
それぐらい造作もないと言外に言いきって、アントーニョは後ろから息もできないくらい強く菊を抱きしめた。
<end>