君を笑顔にさせる魔法を知ってる
携帯の着メロより安っぽい音をBGMに高杉が呟いた。雑誌を捲っていた手を止め、背を預けるにはやや硬いベッドの下から振り返る。高杉は仰向けになり天井に腕を伸ばすという、やたらと疲れそうな格好をしながら携帯用ゲーム機で遊んでいた。ちまたで話題のDSとかいうハイテクなものではない。進化もしていないからアドバンスでもない。彼が夢中で遊んでいるものは、なぜか俺の部屋の奥底から発掘された今や貴重な化石、ゲームボーイである。しかもその画面はこのご時勢になんと白黒で、まさに化石みたいなゲームに高杉は大喜びしていた。聞き覚えのある音楽が聞こえる。たぶん高杉が今やっているゲームは一世を風靡したあのゲームだろう。・・・うん。可愛いよね、ピカチュウ。初代はちょっと太っているけど。
「エレベーターとか乗ると、絶対ボタン押してた」
「ふうん。俺はエレベーターガールのほうが好きだけど」
「ほれ、ポチっとな」
何だか聞き覚えのある台詞に、彼が何故こんな話を始めたのかがわかった。俺の言葉は見事にスルーされてしまったけれど、今更のことなので気にすることはない。彼の話は唐突のようで、実はちゃんと理由がある。それはあまりにも小さいから見落としがちだけれど。ぴろりぴろりと、レトロな音がする。その古い音を聞けば当時の記憶をぼんやりと思い出すことができた。あの頃は中学生とかその辺だっただろうか。制服を着ていた自分を思い出す。その目は少し、高杉に似ている。
「だから俺は多分、押すと死ぬボタンとか差し出されても、押すと思う」
何の感情もこもっていない声だったが、それでもどこか信憑性はあった。彼はこういう声色で嘘をつくことはしない。ジャラララン、とお金が溜まる音がする。そういうところで遊んでないで冒険しなさい。トレーナー達の頂点に立ちなさい。そんな所にいるからそんな考えが生まれるんだ。モンスターの目を見てみろ。みんな生きる希望に満ち溢れているでしょうが!とかなんとか説教を零したい気持ちになったが、先ほど浮かんだ制服姿の自分がちらついたので言葉が出なかった。あの頃の自分も似たようなことを思っていた気がする。いつしか煩わしい気持ちがどうでもいいに変わり、今の俺が居る。
他人なんてどうでもよくて、自分なんてもっとどうでもよくて。いつもぴりぴりした空気を纏っていた。適当に卒業し教育という枠から外されて初めて、寂しいと思った。校門をくぐり清々するかと思いきや俺は振り返っていた。俺はここで何をしていたのだろう、くだらなかった筈の日々がどうしてか、眩しい光となって目に映る。ほとんど無理やり、当時の担任に進学させられた大学に真面目に通おうと決意した。あの担任には感謝している。まぁそんなすぐに真面目にはなれなかったので、単位習得もギリギリだったが何とか教員免許を取ることはできた。ここに、帰ってこようと思ったのだ。失くした青春時代を取り戻したいとかそういうんじゃない。ただどうしても、ここに帰ってきたいと思った。卒業式のあの日、振り返って見飽きたはずの校舎を見た時に。そして俺は帰ってきて、一人の生徒と出会う。あの頃の自分に良く似た彼と。
高杉は黙ったままだ。まだジャラジャラとお金の音を鳴らしている。モンスター達と冒険する気はないらしい。やわい笑みが零れた。彼にはよく、その顔はむかつく、と言われる笑みだ。
「ボタンが、すきなの?」
「あ?まだその話してんのか、」
「じゃあ通話ボタンにしておきなよ」
自分の携帯を掲げながら聞いてみた。ゲームボーイから目線を逸らした高杉と目が合う。意味不明だ、と言わんばかりに眉間に皺を寄せて少し怒っているとも取れる顔をしている。つまりは不機嫌な顔。高杉は、お前は俺をイラつかせる天才だな、とよく言う。俺にしてみれば高杉は少し怒りっぽいだけだけど。その言葉を借りるのならば俺にとって高杉は、俺の機嫌を良くさせる天才、なのかもしれないと思った。俺はにんまりと笑う。こういう笑みが彼にとっては一番腹が立つものなのだろうけれど、直すつもりはさらさらない。あいにく、俺は怒っている高杉を眺めるのも、面白いとさえ思っているから。
「死にたくなったらね、俺に電話してごらん」
怒った顔も泣いた顔だって好きだよ、だけど一番好きなのは君の幸せそうな顔だから。
俺はそれを守るためならなんだってしてみせよう。
「お前の元に飛んでいくよ」
苦しいときや哀しいときはふとした瞬間訪れるもの。大きな理由なんてない。ひたりと背後に闇が来るときもある。時には嫌なタイミングで『押すと死ぬボタン』なんかを見つけてしまうかもしれない。ふらっと押したくなるかもしれない。だけどそこで勇気を振り絞って欲しい。そんなボタンは破壊してしまえばいいことに気付いて欲しい。意外と簡単に壊れるものだから。俺はそのことを知っている。教えてもらったんだよ、お前に。苦しくて哀しくて寂しいとき、通話ボタンを押せばいい。俺に頼ってくればいい。俺は全てを投げ捨ててすぐにお前に会いに行くよ。そして魔法を唱えてあげる。俺だけが知っている呪文。
高杉は何か言いたそうに口をぱくぱくさせていたが、やがて飲み込んでしまったらしい。大きなため息が聞こえた。俺は彼の名前を呼んでまた笑った。すると眉間の皺を解いた彼は諦めたように笑った。眉を少し下げてぎこちなく笑う顔は、最近よく見せてくれるようになった表情。出会って最初の頃には無かった顔。そういう表情を見ると、俺はこの学校に帰ってきた意味を知るんだ。
ほらね、魔法にかかったでしょう。なんて、そういう俺も君の魔法にかかっている。
作品名:君を笑顔にさせる魔法を知ってる 作家名:しつ