九十九屋×折原
「折原」
いかにも優しげに呼ぶ茶髪の男を臨也は不快そうに睨み付けた。路地裏の壁に凭れ、腕を組み、じとりと揺るがぬ嫌悪に満ちた瞳で見据えてくる臨也の前には幾分か背の高い男が立っていた。
一言で表すと優男だ。癖のある茶髪を伸ばし後ろを束ね、穏やかな碧色の垂れ目に赤縁の眼鏡。そしてひょろりと長く細い体躯に日焼けが少ない健康的な色の肌。彼が臨也とよくチャットで交流する九十九屋真一である。
「そんなに睨み付けなくても何もしないぞ?」
「信用できねえよ」
ファー付コートの裾を揺らしながら吐き捨てる臨也の猫のような瞳は彼の愛する人間そのもののそれだった。彼は人間を見下ろす化け物のようだがやはり人間から生まれれば人間なのである。
警戒と嫌悪を纏った鋭く冷たい空気を漂わせる相手に九十九屋は苦笑を隠せない。そして歪む口元は決して皮肉を紡ぐために開くのではない。とりあえずため息を一つ吐き出した。
「折原は人見知りなのか?私、人前だと緊張しちゃうんですぅ的な」
「殺すぞ」
「おお、こわいこわい」
九十九屋が後半に裏声を使っておどけると、普段は爽やかに人を陥れる声と言葉にやたら低い凄みがついた。端正なつり目がますますつり上がりそうである。
「今のどこに俺が殺される要素があったんだ折原、というか初対面でそんな挨拶はな」
「用件はなんだ」
言葉を遮った厳しい声音に九十九屋はまたため息をつきたくなる。
あくまで穏やかな面差しで臨也を見つめるが、彼は冷たい眼差しを向けてくるだけでにこりともしない。ひょっとして、チャットの時よりも邪険にされているのではないだろうか。
「チャットで何度も話をする位の仲だから、一度会ってみたかった……って理由じゃ駄目か?」
「……。」
こいつ何言ってるんだ?という訝しげに上がる眉。とうとう声さえ上げてくれなくなった反応。九十九屋はここまで折原臨也に嫌われていた自分の存在が悲しくなってくる。
「別に……チャットだけで済ませればいいだろ。お互い利用しあうだけなんだし」
面倒なんだよ、そういうの。
臨也は苦いものを吐き捨てるように言った。視線も伏せられている。仮にも相手の表情を読み取り動かす凄腕の情報屋だというのに、今は視線すら合わせるのが億劫だとでもいうのだろうか。
人間を愛する彼はその人間を利用することに躊躇いがない、しかし利用されるのは嫌なようで。
九十九屋真一とはお互いに利用しあうだけだと割り切って考えているようだが、九十九屋自身は違う考えなのだ。
それでも目の前で嫌悪する九十九屋真一すら、折原臨也の目には愛する人間のうちの一人として映るのだろうか。九十九屋は何を思ったのか目を細めると、壁に凭れる臨也の両側に両手をついた。
「何のつもり?」
「……俺は、お前を利用したいから会いたいと思った訳じゃない」
「?」
組んだ腕は緩まないが、ビルの隙間に射し込む光で輝いた鮮やかな色の瞳が九十九屋の碧色のそれを見上げる。長い睫毛がはっきりと見えるぐらいに近くに顔を寄せる。
「折原臨也に興味があるんだ」
「は……?」
「いや、言い方が間違っていたな。語弊があった。折原、俺は」
見開かれた瞳に自分の顔がありありと写った。眉目秀麗の上に重なった表情が信じられないと言っている。それでも、事実だから。
「お前が愛している人間より、お前に愛されるようになりたいんだ」
「好きなんだ、折原が」
「は……っむ、う」
華奢な背中に片手を回して引き寄せると、もう片方の手で白い頬を包んで流れるように上を向かせた。
突然の事に抵抗もままならないまま、悪態をつこうとしたであろう開いた臨也の唇に九十九屋は自分のそれを重ねた。言葉を奪うように吸い付くと、細い身体が抜け出そうと捩るので口内にゆるりと舌を差し込んだ。
「んっ、んん、んーっ……」
くぐもった声、甘い吐息が聴覚をくすぐる。柔らかい舌をぬるりと絡めとりながら吸い上げると、臨也は真っ赤な顔を歪めていた。
ぎゅっと瞑った睫毛が滲んだ涙に濡れている。ゆっくり唇を離すと唾液の糸がふつりと伸びて切れた。
「……!な、何するんだよ、なんで、何でこんな、」
「嫌だったか?」
「そ、な、決まって……!」
息も絶え絶えに震える臨也は九十九屋の腕の中でくったりと身を預けている。やっと出会ってからまともな反応をしてもらった気がした。
真っ赤に怒る彼の柔らかな肢体や甘い唇を堪能したことで九十九屋の下がっていた気分が若干上がり気味になってきた。それゆえ気づかなかったのだ、彼の怒りに。
「っ、九十九屋っ!」
「うん?そういえば随分と初な反応だったな、初めてだったのか?」
「……この……っ馬鹿野郎!」
「がっ!」
にやにやと顔を近づけてからかった九十九屋の顔面、もとい頬に臨也の指輪付き右ストレートが直撃した。吹っ飛んだ九十九屋は路地裏のごみ袋が積んであった山にダイブしたまま気絶した。
「お前なんて死んでしまえ!大馬鹿野郎が!!」
あんまりに唐突過ぎたアプローチに臨也は怒りの罵倒をぶちまけると、そのまま走り去った。真っ赤な顔はそのままで。
人間を愛してる!
そう軽やかに高らかに豪語する、黒い髪と紅い瞳を引き立てる白い肌。画面の中で文字を交わすうちに、どうせ平凡な男だろうと気になって探りを入れてみたら存外美しいひとだった折原臨也。
池袋では飛ばされた自販機を横へ僅かに身体をずらしただけで避け、毒針のように小さなナイフで相手を微かに抉る。鮮烈な微笑みは毒の様に相手を陥れ腐らせる。蝶のように艶やかで蜂のように恐ろしい。
そんな妖しい華のような彼に九十九屋は惹かれてしまった。可憐な女でもないのに、胸を言い知れない打撃に衝かれてしまった。
間近に見たら余計にうつくしかったよ、俺が見てきた街よりも何よりも、だから愛してほしかったなんて、とちくるったようにくちづけてしまったよ。ああ、ああ、いとしいひとよ。
「つんつんでれ~……ってね」
がさがさ。ごみ袋のクッションは案外心地が良い。腫れた頬をさする九十九屋にとって最大の幸運は生ゴミが無かったことだ。
今夜、チャットルームに彼が来てくれたら。そう思うと、また話がしたかった。