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ここにおかえり

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真田の「本当か、」という言葉に俺は若干たじろいだ。でもすぐにそんなものは飲み込んで、
「大丈夫だよ」。まるで初めから何も無かったようにそう言えた。
「寒さにはあれほど気をつけろと」真田が眉間に皺を寄せてぶつぶつ文句を垂れるのが、お医者様みたいで、真田みたいな医者がいたら「怖くて眠れないな」。何ふざけているんだ、と真田が俺に布団を掛けなおした。
「この年にもなって、誰かに心配されるのも悪くないなって思ってるんだ」、真田は笑う? って聞こうとしたら、真田ってばそんな顔しないでよ。真田は俺が見つめなおしたのが気まずかったのか、誤魔化そうとして背を向けた。
「窓を開けたままなど、たるんどる」。真田が俺の向こう側にある窓に手を掛けた。たるんどるって、久々に聞いたと思ったら、そうか。俺はもう2ヶ月も真田と顔を合わせていなかったのだ、と気がついた。
「心配されないように、なって欲しいというのは」。真田にしては随分乱暴に窓を閉めたと思う。
「俺の勝手なエゴなのか?」。俺にはそんな風に月日が流れていたなんて本当にわからなかったんだ。だって、夢の中では毎日笑ってテニスしているんだよ? あの夏の日からそんなに経ったなんて思えるかい? 
「・・・意地悪が過ぎたね、」悪かったよ真田。その言葉にようやく真田は微笑んだ。


( それがやさしさであることを僕は知っていた / 真田と幸村 )


「図書室に行く」。
そんなものが私を避ける最大の口実だなんて私本当は気がついていたんです。
「気まずいんでしょうか」、私の下らない独り言に、真田くんが俺はどちらかといえば、「暑い」。
柄にもなくそんなことを言ったので私思わず笑ってしまったんですよ。
図書室はいつも甘い匂いがしました。それは単に同じ棟に家庭科室があるからとかそういうのではなくて、多分たまに覗きにきた丸井くんが、やたらとチョコレートや飴玉を食べて、まいて行くからでしょう。
「仁王くん」、私がこの名を呼ぶのも随分不自然になってしまいました。
窓辺近くの机につっぷす形で本を眺めていた仁王くんは、一瞬体を硬直させた後に、やはり不自然に私に笑顔を向けます。
「よう、柳生」。見つかってしまった、と口で言ってくれれば簡単なのですが。仁王くんの本音を私は見たことがありませんでした。
「堪えられんのう」、「何がですか」。くっく、と突っかかるような笑いを溢してから仁王くんは。
「テニスがしたいんじゃが、一体どんなテニスをしてたのか思いだせんのじゃあ」。
私も仁王くんも、いろいろなものを落としてきたのですね。避けられて当然かも知れないという選択肢が、今更私の中に浮上しました。
「仁王くん、残暑お見舞い、書いてもいいですか」。たぶんこれで、仁王くんとは最後になるでしょう。


( 夏の匂いの便箋 / 柳生と仁王 )


目に見えて分解していくことの恐怖。最近仁王が余所余所しくなったと思っていたけれど、それを言えばみんなそんなモノかも知れないと、考え直すことで俺は俺自身を守った。
「ジャッカル、さよならってお前の国でどう言うの?」、
たまに俺が頭のいい振りをしてそんなことを聞くと、いつもお前そんな顔するのね。本当は困らせたいとかそんなんじゃねえんだけど、や、俺が悪かった。
「ごめん」、「俺さ、お前にそんな言葉教えたくねえな」。まるで幼稚園児をあやすような優しい掌の感覚。お兄ちゃんだって甘えたいときは、あるよなあ。
ざああああ。突然の通り雨にもお前は同じような顔をする。「ブン太、お前傘持ってる?」。本当は俺、このとき、持ってないって言っても良かったんだ。「あるよ、」あいあい傘したい? って聞いたらお前真顔で「うん」。そんなんずるいじゃねえか。
一歩踏み出した雨の中は、こんな寒い日に限って暖かい。濡れた方が暖かかったりして。「冗談やめろよ」、ジャッカルの咎め方は砂糖細工みたいに甘いんだ。
「怖いよ」。何が。随分遠くの方でジャッカルの声がするんだなあとは思ったんだぜ。「怖いんだ、みんなが別のものになってくみたいで怖いんだ」「だって、同じ記憶を共有しているのに、もう昔みたいには笑えないんだって」。
もうそれ以上何も言うなとジャッカルに口止めされて、初めて俺は今日熱があると自覚した。どうりでジャッカルの声が遠い。


( 綺麗な矛盾だけでは歩けなかったよ / 丸井と桑原 )


この部に顔を出してくれる代表格って言ったら柳先輩なんだから、他の先輩って案外はくじょーものって思っちゃったりするわけ、可愛い後輩からしてみれば。
「それにしても、暇なんすね、正月から」部活に顔を出すなんて。最後まで言い切る前に先輩の眉が上がったので俺はすぐにまた押し黙った。
「幸村の体調が良くない。正月に初詣に行かないなんて俺も驚いているよ」。ああ、そっか。
「先輩も先輩なりに悲しいんですね」。
俺がわかったように口を利いたら柳先輩ってば思いっきり驚いた顔なんてしちゃって。
「ああ、そうか・・・そうかもしれないな、」気がつかなかった、と。
柳先輩でも「気がつかないことなんてあるんすね」。
本当に変わってしまったと、俺は時どき思うときがある。コートの隅に厳つい般若の面みたいなあの人とか、プリッとか、天才的とか、ファイヤーとか。それから紳士がなんだ神の子がなんだって。本当に変わってしまった。
かわることを恐れはしないが、「惜しいなって思う気持ち、ありますよね」。突然の台詞に、何がだ。柳先輩は短く真意を問いかけたのだけど、俺は何がでしょうなんて言って適当に誤魔化した。
あの夏が本当だったなら、俺はそれを疑いもしない。この先なんて、責任持てないし。
「正月そうそう赤点補講で学校に来てるなんて知れたら、真田はどんな顔をするかな」。
こういうところはちっとも変わってないんだから!


( かつての常軌の延長線上 / 切原と柳 )




とっても幸せな夢だと思わない? 
夏の空って上がないんだ。どこまでもどこまでものぼっていけるんだよ、知ってたかな。無邪気な俺の声に、なんで君はそうかな。
「泣くなよ、真田」。別に哀しいことじゃないんだよ、あの夏に戻れないのは事実なんだ。
「こんなに今から泣いてて、卒業式ではどうするの」。呆れたように零れた溜息。病室の隅に掛けてある立海大付属テニス部のレギュラージャージ。このジャージが吸い取った汗の分だけ、俺たちの本当があるんだ。
柳生から届いた残暑見舞いを開けられないまま、俺は今新年を迎えようとしている。正月の初詣に付き合えなくて本当に申し訳ない、と柳に電話をしたら、抑揚の無い声で「気にするな」。それだけを言われた。

時どき目を閉じて、俺はもう揃わないレギュラーの背中を思い浮かべるのが、大好きだ。


( はからずも最後 / 幸村 )
作品名:ここにおかえり 作家名:しょうこ