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Fly me to the moon

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淡白な月明かりに眼を慣らす。
欲しいのは酒なんかではなく、独り孤高の旅に出る、貴様。

*** *** ***

見えないと思い込んでいた右目が、ふとした瞬間にセピア色の世界に包まれた。その瞬間、全てを了解した。擦った左目の方から溢れた涙をどうしてか拭うことは出来ず、あまりの寒さのためかそのまま筋の如く凍ってしまった。それも構わないと思った。失った瞳はお前が連れ去ったのか、鋼の。
「素敵とは言い難いが、悪くはないな、エド」
ふつふつと込み上げて来る笑いを、悴んだ手で塞ぎこみながら吹雪く部署の前、眼下に広がる雪ばかりを眺めた。

珍しいですね、何を笑っているんです。ハボックが差して面白くもなさげに口を開いた。俺は雪をはたはたと落としながらそうかね、と得意の口調で言い返す。
「この寒さでとうとう頭でもいかれちまったんですか、伍長」
「いやなに、ちょっといいことがあっただけさ」
ハボックのわざとらしい言葉はあえて流した。それがますます面白くないのだろう。ポケットのいくつかを探った彼は、右のポケットから煙草を、胸のポケットからはマッチを取り出した。湿気ていて使えないだろうと思ったが案外マッチも役に立った。煙草をくわえた彼はすぐにまた話し出す。
「ちょっといいことって、どんないいことですか?」
俺は、言おうとしてすぐに口を噤んだ。あ、と締りの悪い口が見っとも無い。ハボックが疑問符を浮かべている。さて、これをなんて説明すればよいのやら。いやに働かない脳は、ようやく一つの言葉を発した。
「眼が、」
「目?」
「眼が、見えるようになったのだよ。素敵な、世界だった」
微笑んだ俺を、まさかあ、とハボックは嘲笑った。悔しいのだろう。これで彼は決定的に俺を手に入れることが出来なくなってしまった。
「すまぬな」
「・・やまらないでください」
はじめの方がうまく聞き取れなかったが、敢えてそうしたのだろうということはいくらなんでも察しがついた。本当に、すまない。ハボックは恨めしそうな瞳をこちらに投げてよこした。だがその瞳に答えることは元より、触れることさえ許されはしなかった。もはや右の目は雪ばかりの世界でも、ましてや暗闇を映しているわけでもなかったのだ。ナラタージュのように褪せた世界。私のエドワードは泣きながら、素敵な淡いランプの下万年筆を走らせている。知らない世界の言葉ばかりが並んでいるが、それは不思議と私に理解できた。愛している。彼の気持ちは今も私のものだったのだ。
「大佐、」
ハボックはつい、以前と同じ呼び方をしたので俺はまた現実へと帰ってきた。ハボックの咥えた煙草の灰が落ちそうになっているのを見て、灰皿を指差す。安物の灰皿だが、もちろん私のものではない。ハボックが密かに通う間に持ってきたものだ。私とハボックが会っていることなどはいわゆる密会というのだろう。一番私に近かったものさえ知らぬ、永遠の秘密だ。
「貴方まで、あちらに消えてしまうんでしょうかね、」
ハボックは灰を落とすのと同時に、言葉も落としてしまったらしい。続きはいくら待てども出てはこなかった。


*** *** ***


ああ、君か。長い接続音の後に繋がったのは、かつて私の忠実な部下として働いてくれた金髪の美しい美女だった。一瞬の沈黙の後、彼女は一種の後悔のようなため息を漏らした。それは少しばかり長く、私は口を挟む余地がない。彼女はすぐに喋りだした。
「君か、というのはどちらのお嬢様でありますか、大佐」
「そう呼ぶのは、君だけになりそうだよ、中尉」
ご冗談を。中尉は鼻で笑った。同時に彼女が何か書類を捲る音も聞こえる。改めて仕事中なのだということを思い起こさせる。彼女の仕事をこなす姿を想像してふっと微笑んだ。
「ご用件は何です、大佐」
彼女は焦っているようだった。それもそうだろう。軍部の電話回線を使用して、伍長ごときが中尉に連絡を取っているのだ。見つかればそれこそ今度こそ軍部を追い出されかねない。中尉はそれを気にしているのだろう。彼女が節目がちに書類に目を通しているのが浮かんだ。中尉は私のために、今も、そしてこれからもそうして平然を装うのだろう。すまない。私はハボックと同じ言葉しか浮かばなかった。
「・・・エドワード・エルリックに関する、データを」
「あの、鋼の錬金術師の?」
中尉は不思議そうな声色でそう聞き返したので、私はああ、と低く喉を揺らした。
「失礼ですが大佐、その・・、」
「何故今頃になって? だろう。そうだな・・・君、私の右目が何処に行ったか、考えたことはあるかい?」
「大佐の右目ですか? 大佐の右目の方は炎症を起こし、殆ど視力が回復せずにそのまま失明してしまったと聞いておりますが」
ああ、そうだね。そうつまらない風に言った私に、中尉が電話の向こうで眉を顰めたのがわかった。私は白手をしていない、顕わの指で受話器から伸びているコードを指に巻いて弄ぶ。どうやら中尉にこういうロマンな話は向かないらしい。
「日付は西暦1929年、ドイツ中央の町、ミュンヘン・・・」
「まさか・・・」
「そう、そのまさかだよ」
ようやく理解した中尉を私は鼻で嘲笑った。まさか、信じられない、そんなはずが。中尉も非科学的な話にはめっぽう弱いようだ。ひたすら同じような言葉を繰り返していた。そんな君が、好きなのだがね。最後の愛の言葉にも、中尉はまさか、と一言だった。
作品名:Fly me to the moon 作家名:しょうこ