凍った仮面に杭を
水谷が、それまで楽しく話していた女の子と別れて、こちらに向かってきた。しかし俺に話しかけることはないのだろう。そんなことはもうわかっていた。ただ、すれ違いざまに俺に向ける目が、すごく冷たくて、なんていうんだろう、こういうの。そう・・・まるで人のことを蔑んでいる目。相手にする価値もないと無言で告げている目。そんなのは酷いってこと、わかってるんだ。それでも、水谷がまだ俺を視界に入れてくれている、そう思っただけで少しは心が晴れた。
「もう・・・戻れないかな」
部活中にそう呟いた俺に、さも驚いたように水谷は顔を歪めた。いくら部活と言えども、水谷は以前のように振舞う気は毛頭ないらしい。やめろよ、と低い声を出した水谷に俺は少し震えた。
「今更期待なんてかけんなよ、」
馬鹿にしてんの? そこまで言ってから水谷の方にボウルが飛んできたので会話は打ち切られた。しかし、水谷がフライをキャッチするときに、うざい、と音を立てずに唇を動かしたのを見逃さなかった。何がいけなかったの? 最後まで、それを聞くことが出来なかった。
廊下で水谷を見た。もう、あまり心を痛めることもなくなった。いや、冷静に自分の感情をコントロール出来るようになっただけだろう。本当のところは、何も変わっちゃいない。水谷は女子に囲まれていた。本来、俺みたいな人間が水谷にまとわりつかなければ見た目も悪くない、話もうまい、しかも野球をやっている。そんな人間がモテないわけがないのだ。女子相手に身振り手振りで話している水谷がなんだか可哀想で、鼻で笑ってしまった。水谷の、汚い顔をみてみたい。幸せな人間が落ちる不幸の顔を見てみたい。気持ちは真っ黒だった。わざと遠回りをしてすれ違いを装って水谷に近付いた。まさか俺が話しかけるなんて思って居なかったのだろう。やあ、水谷。俺が声を発したとたん、明らかに不快そうな顔色を覗かせた。
「おう、栄口」
彼は普通を通した。あくまでも、普通だと言いたげだった。そうしてから、仲よさげに俺の肩に腕を伸ばし、唇を耳の近くに寄せた。
「・・・馬鹿だなあ、話しかけんなよ」
その文章は完璧だった。そう、俺を復讐に走らせるには完璧だったのだ。色のない瞳、乾いた声色。それは俺の感覚を遠くへ飛ばす。
「うん、そうだね」
俺も普通を通した。今こんなくだらないことで彼を困らすのは自分の気分を晴らすのにあまりにも不釣合いだと感じたからだ。頭の中で、何かがかあんかあんと鳴っていた。それが、一体何なのか俺にはわからなかった。ああ、怖い。自分が怖い、水谷が怖い、全てが怖い。でもこの気持ちは止められなかった。そうだな、誰か、お願いだ。
この凍った仮面に、杭を。