エンドロール
「もう会わないってなんだよそれ、三橋!」
片言に入っていた留守番電話に、いきりたって電話を掛けた。戸惑う三橋の息遣いがほんの少ししたと思ったら、よく会話もしないうちにそれは切れてしまった。(あいつ、携帯も満足に使えないのかよ!)掛け直す気持ちも萎んで、携帯電話を閉じると、自分、忙しいやっちゃなあと織田が笑った。
「また西浦の…」
織田が水道で洗った顔を左右に振って雫を飛ばすので置いたままのタオルを手渡す。
「そう、三橋だよ。もうわけわかんねえ…会わないって、なんだよ、」
留守電に残っていた三橋の声が木霊する。修ちゃんには、もう会わない、よ! 元気な三橋の口調と裏腹な内容に、全身が凍った。幸運な、(もとい当然だった)試合のあと、お互いの夏も始まりやっと素直な気持ちで向き合えると信じていたのに。
「三橋って…本当、わけわかんねえ…」
「え、叶、自分泣いてンのか!?」
いきなり涙を零した俺に慌てふためく織田を、ほっといてくれよ、と押すが、そんな力でどうこうなるはずもなく、すぐにその腕を掴まれてしまった。
「叶…」
織田は、俺に甘い。
昔々に好きだった気持ちとか、今も変わらない尊敬の気持ちとか、そういう気持ちをこれから徐々に、伝えていけばいいと思っていた。まだ時間があると疑っていなかった。いつもそうだ。いつもそうやって三橋は何かを自分の中で決めて出て行ってしまう。あの庭から。残された俺は三橋を追って、白雪にぼんやり形どっている足跡を懸命に追う。
「叶、ほら、いちごミルクやで~」
クラスの酷い喧噪の中でもその長身で失われない個性を持った織田が、俺の目の前でちらつかせているいちごミルクの紙パックを受け取ると、その手のひらに百円玉を乗せてやった。おおきに。満面の笑みの織田が横に落ち着く。
「ほんま叶って甘いモン好きやなあ」
「…これは!」
そこまで言ってから自分の姿を見つめて、そうかあ、もう恥ずかしい歳なのかあと思ってもごもごと言葉を飲み込んでしまった。織田が面白がって続きを促す。
「これは?」
「三橋の、影響だよ」
「まあた西浦の、か」
「修ちゃん、お駄賃、貰った!」
当時の三橋は、手伝いで稼いだお金がぴったり自動販売機で買えるいちごミルクの値段分貯まると、俺のところまで来て、にこにこと笑顔を広げたものだった。俺は今の三橋とどっこいどっこいな身長だが当時はまだ俺の方が何センチも高くて、三橋の手の届かないところは何でも「修ちゃん」だった。
「廉、またいちごミルクかよ?」
「うん、おいし、よ!」
がっこん、と大きな音がして出てきた紙パックを廉はいつも嬉しそうに眺めてから、そっとストローを刺して飲んだ。一口飲むと必ず俺の目を気にして飲む? と聞いてくる廉に、俺は別に大して飲みたくもないくせにうん、と嬉しい振りをして貰っていた。それ以来、三橋がいちごミルクを強請らなくなった今でさえ、あの味が忘れられなくて、なんとなく飲み続けている。
「おかしい、よなあ」
ずーっとストローで最後まで吸いきった俺は紙パックをしげしげと眺めた。織田がかわいいなあ、と言って俺の頭を撫で回す。
「叶がおいしいと思うて飲んでンやったらそれでええねん」
「そうかなあ」
「そうやでえ」
でも、と一瞬織田が顔を曇らしたので疑問符を浮かべたら、なんでもないと言うので今度は俺がでも? と先を促してみたらあっけなく織田は堪忍した。
「思い出から抜け切れてない叶見てると、おかしくなるのは俺の方やねん」
「何で?」
「嫉妬で」
そこまで言って織田が柄にもなく赤面するものだから、俺は大口を開けて固まってしまった。織田が困ったように小首をかしげる。
「…ごめん、」
「言わんどいてや。なんかえらい空しゅうなるねんから」
額から目を覆い隠す大きな手のひらが、少し、好きだと思ったが、あえて口に出しはしなかった。(きっとすぐに調子に乗ってしまう!)
俺はおかしいんじゃなくて酷い奴なんだって初めてわかった。いい加減だよ、な。(修ちゃんには、もう、会わない、よ!)三橋の言葉がまた木霊しはじめて、そこでようやく三橋が俺に会わない、と言い出したわけがなんとなくわかった気がした。
窓越しに座って肘をついていたのだが、その手から顔が滑り落ちた。(三橋、だ…)
突然ふらりと現れたりするから、やっぱり三橋は猫だとかそんなことを考えてしまう。そして現れておいて、別に俺はここまで来るつもりはなかったんですよー、なんて空気を出そうとしているのだからそこのところが可愛いというのだ。こんな夜中に家の周りをふらふらされていたら不審者かと疑ってしまう。練習もあって疲れているだろうに、そんな風に何処か遠くへ来れてしまう力は何処から出ているのだろう。
「で、三橋は何をしにきたのかな」
俺は怒鳴ったりとか、泣いてみたりとかそれこそ山のようにもし、三橋に会ったときはどうするか、をいろいろ考えていたが、実際言葉にしたのはそのどれにも当て嵌まらず、当の本人が一番驚いていた。
あ、う。三橋が顔を紅潮させて何かを話そうとしているのが面白くて、上がってこいよ! と手招いた。だがそれに三橋は力いっぱい首を横に振った。
「何だよ、遠慮することないって! 時間気にしてるならうちに泊まってけばいいし」
「違う、よ」
え、と俺は止まった。そして急に馬鹿みたいに浮かれていた自分を思って少し反省した。頑なな三橋がここまで来たということを、俺はもう少し考えなければならない。
「修ちゃん、を、逃げ道にしてちゃ、駄目なんだ、よ…」
俯いた、そうしてからキッと俺を見上げた。それがあの西浦の捕手に似ているやらなんやらで俺は悔しかった。(修ちゃんには、もう、会わない、よ!)(思い出から抜け切れてない叶見てると、おかしくなるのは俺の方やねん)世界は極彩色で目まぐるしく回っていて、三橋は、前に進もうとしているのだ。いい加減自分で自分の頬をぶん殴ってやりたい気分だった。
「ごめん、三橋、俺…!」
「ごめんって、言っちゃ、やだよ」
それは織田にも言われたばかりだと、と思って少し恥ずかしくなった。ちょっとした思い出し笑いで吹き出した俺を見た三橋は安心したのか、最後にやっと、笑ってくれた。
「もう、淋しくない、よ!」
俺はそうか、と答えるのに少し時間が掛かった。そんな風に笑われると、逆に俺が困ってしまうのだ。
「なんか、映画見てるみたいだったなあ」
唐突にそんなことを言い出した俺を織田は訝しげに覗き込んだ。まあた、と眉を顰める。
「なんかって、なんやねん」
「んー、いろいろ?」
俺は織田に、昨夜三橋に会ったことを言わなかった。またそれはそれで複雑な心境になってしまうだろう織田を気遣っているつもりだった。四番打者に余計なことは考えていて欲しくない。(それは俺が居る時点で無理なのだろうが、)(愛されている自覚はある)
「主演、叶修吾。古いモノクロ映画で流れる掠れたエンドロールみたいなさ、そんな感じなんだよ」
「だから、何が、」
織田。俺は無理に織田の言葉を遮った。なんや? と織田が困ったように俺の瞳を見つめる。
「俺、お前のこと、好きになりそう。いや、好き、」
「叶!」
片言に入っていた留守番電話に、いきりたって電話を掛けた。戸惑う三橋の息遣いがほんの少ししたと思ったら、よく会話もしないうちにそれは切れてしまった。(あいつ、携帯も満足に使えないのかよ!)掛け直す気持ちも萎んで、携帯電話を閉じると、自分、忙しいやっちゃなあと織田が笑った。
「また西浦の…」
織田が水道で洗った顔を左右に振って雫を飛ばすので置いたままのタオルを手渡す。
「そう、三橋だよ。もうわけわかんねえ…会わないって、なんだよ、」
留守電に残っていた三橋の声が木霊する。修ちゃんには、もう会わない、よ! 元気な三橋の口調と裏腹な内容に、全身が凍った。幸運な、(もとい当然だった)試合のあと、お互いの夏も始まりやっと素直な気持ちで向き合えると信じていたのに。
「三橋って…本当、わけわかんねえ…」
「え、叶、自分泣いてンのか!?」
いきなり涙を零した俺に慌てふためく織田を、ほっといてくれよ、と押すが、そんな力でどうこうなるはずもなく、すぐにその腕を掴まれてしまった。
「叶…」
織田は、俺に甘い。
昔々に好きだった気持ちとか、今も変わらない尊敬の気持ちとか、そういう気持ちをこれから徐々に、伝えていけばいいと思っていた。まだ時間があると疑っていなかった。いつもそうだ。いつもそうやって三橋は何かを自分の中で決めて出て行ってしまう。あの庭から。残された俺は三橋を追って、白雪にぼんやり形どっている足跡を懸命に追う。
「叶、ほら、いちごミルクやで~」
クラスの酷い喧噪の中でもその長身で失われない個性を持った織田が、俺の目の前でちらつかせているいちごミルクの紙パックを受け取ると、その手のひらに百円玉を乗せてやった。おおきに。満面の笑みの織田が横に落ち着く。
「ほんま叶って甘いモン好きやなあ」
「…これは!」
そこまで言ってから自分の姿を見つめて、そうかあ、もう恥ずかしい歳なのかあと思ってもごもごと言葉を飲み込んでしまった。織田が面白がって続きを促す。
「これは?」
「三橋の、影響だよ」
「まあた西浦の、か」
「修ちゃん、お駄賃、貰った!」
当時の三橋は、手伝いで稼いだお金がぴったり自動販売機で買えるいちごミルクの値段分貯まると、俺のところまで来て、にこにこと笑顔を広げたものだった。俺は今の三橋とどっこいどっこいな身長だが当時はまだ俺の方が何センチも高くて、三橋の手の届かないところは何でも「修ちゃん」だった。
「廉、またいちごミルクかよ?」
「うん、おいし、よ!」
がっこん、と大きな音がして出てきた紙パックを廉はいつも嬉しそうに眺めてから、そっとストローを刺して飲んだ。一口飲むと必ず俺の目を気にして飲む? と聞いてくる廉に、俺は別に大して飲みたくもないくせにうん、と嬉しい振りをして貰っていた。それ以来、三橋がいちごミルクを強請らなくなった今でさえ、あの味が忘れられなくて、なんとなく飲み続けている。
「おかしい、よなあ」
ずーっとストローで最後まで吸いきった俺は紙パックをしげしげと眺めた。織田がかわいいなあ、と言って俺の頭を撫で回す。
「叶がおいしいと思うて飲んでンやったらそれでええねん」
「そうかなあ」
「そうやでえ」
でも、と一瞬織田が顔を曇らしたので疑問符を浮かべたら、なんでもないと言うので今度は俺がでも? と先を促してみたらあっけなく織田は堪忍した。
「思い出から抜け切れてない叶見てると、おかしくなるのは俺の方やねん」
「何で?」
「嫉妬で」
そこまで言って織田が柄にもなく赤面するものだから、俺は大口を開けて固まってしまった。織田が困ったように小首をかしげる。
「…ごめん、」
「言わんどいてや。なんかえらい空しゅうなるねんから」
額から目を覆い隠す大きな手のひらが、少し、好きだと思ったが、あえて口に出しはしなかった。(きっとすぐに調子に乗ってしまう!)
俺はおかしいんじゃなくて酷い奴なんだって初めてわかった。いい加減だよ、な。(修ちゃんには、もう、会わない、よ!)三橋の言葉がまた木霊しはじめて、そこでようやく三橋が俺に会わない、と言い出したわけがなんとなくわかった気がした。
窓越しに座って肘をついていたのだが、その手から顔が滑り落ちた。(三橋、だ…)
突然ふらりと現れたりするから、やっぱり三橋は猫だとかそんなことを考えてしまう。そして現れておいて、別に俺はここまで来るつもりはなかったんですよー、なんて空気を出そうとしているのだからそこのところが可愛いというのだ。こんな夜中に家の周りをふらふらされていたら不審者かと疑ってしまう。練習もあって疲れているだろうに、そんな風に何処か遠くへ来れてしまう力は何処から出ているのだろう。
「で、三橋は何をしにきたのかな」
俺は怒鳴ったりとか、泣いてみたりとかそれこそ山のようにもし、三橋に会ったときはどうするか、をいろいろ考えていたが、実際言葉にしたのはそのどれにも当て嵌まらず、当の本人が一番驚いていた。
あ、う。三橋が顔を紅潮させて何かを話そうとしているのが面白くて、上がってこいよ! と手招いた。だがそれに三橋は力いっぱい首を横に振った。
「何だよ、遠慮することないって! 時間気にしてるならうちに泊まってけばいいし」
「違う、よ」
え、と俺は止まった。そして急に馬鹿みたいに浮かれていた自分を思って少し反省した。頑なな三橋がここまで来たということを、俺はもう少し考えなければならない。
「修ちゃん、を、逃げ道にしてちゃ、駄目なんだ、よ…」
俯いた、そうしてからキッと俺を見上げた。それがあの西浦の捕手に似ているやらなんやらで俺は悔しかった。(修ちゃんには、もう、会わない、よ!)(思い出から抜け切れてない叶見てると、おかしくなるのは俺の方やねん)世界は極彩色で目まぐるしく回っていて、三橋は、前に進もうとしているのだ。いい加減自分で自分の頬をぶん殴ってやりたい気分だった。
「ごめん、三橋、俺…!」
「ごめんって、言っちゃ、やだよ」
それは織田にも言われたばかりだと、と思って少し恥ずかしくなった。ちょっとした思い出し笑いで吹き出した俺を見た三橋は安心したのか、最後にやっと、笑ってくれた。
「もう、淋しくない、よ!」
俺はそうか、と答えるのに少し時間が掛かった。そんな風に笑われると、逆に俺が困ってしまうのだ。
「なんか、映画見てるみたいだったなあ」
唐突にそんなことを言い出した俺を織田は訝しげに覗き込んだ。まあた、と眉を顰める。
「なんかって、なんやねん」
「んー、いろいろ?」
俺は織田に、昨夜三橋に会ったことを言わなかった。またそれはそれで複雑な心境になってしまうだろう織田を気遣っているつもりだった。四番打者に余計なことは考えていて欲しくない。(それは俺が居る時点で無理なのだろうが、)(愛されている自覚はある)
「主演、叶修吾。古いモノクロ映画で流れる掠れたエンドロールみたいなさ、そんな感じなんだよ」
「だから、何が、」
織田。俺は無理に織田の言葉を遮った。なんや? と織田が困ったように俺の瞳を見つめる。
「俺、お前のこと、好きになりそう。いや、好き、」
「叶!」